精神分析の科学論

必要があって、精神分析の科学論の傑作を読む。文献は、Chertok, Leon and Isabelle Stengers, A Critique of Psychoanalytic Reason: Hypnosis as a Scientific Problem from Lavoisier to Lacan, translated from the French by Martha Noel Evans in collaboration with the authors (Stanford: Stanford University Press, 1989). 

催眠術師やシャーマンなどの怪しげな術に類似し、それどころか、メスメリズムをめぐる論争が象徴するように、それらに起源をもつ精神分析が、いったいどのような概念的な操作を通じて自らを「科学的なもの」にしたのか、という科学論の問題を繊細に議論した傑作。基本モチーフは、「魂と理性」というパスカルの二元論で、どのようにして魂の問題を理性で扱えるのかという、人間の文化の中核にある大問題を、精神分析の歴史を素材に扱っている。あるいは、本来は魂の問題である事柄を、実験科学の理想がその正統な対象にするために払わなければならない「代償」を分析するという。フロイトと精神分析に対する個人的な崇拝の念を捨てている部分もいい。フロイトの試みは失敗に終わったが、それは、われわれに理性の在り方について教えてくれる偉大な失敗である、というスタンスで書いている。

主に読んだのは催眠術の章。メスメルの動物磁気を調査した委員会が、それを科学的な方法で調査するために、どんな仕掛けを施さなければならなかったのか、ということから説き起こしている。委員会の中にはラヴォアジエもおり、「化学的」な方法といったほうがいい。そこでは、コントロールされた条件において、常に生じる現象のみが科学の対象とされたが、それを、最終的には催眠術や個人の神経症が治るという現象に適応するためには、メスメルが実際に治療を行っていた文脈から完全に違う環境のもとで、メスメリズムを研究しなければならなかった。一方、委員会の中でも一人だけ、事実は、それを作り出した条件において吟味されなければならないという立場をとるものもいた。委員会は結局、動物磁気は想像力の産物であるとしたが、これは、現在のわれわれがプラセボだとするときと同じような、学問の対象からの排除になっている。

一方、フロイトも、シャルコーに出会い、偉大な創造的な過程を経て、ヒステリーを催眠なしで治療する試みを通じて、精神分析の原理を作り上げている。そのときに、フロイトは、自分がその効果を支配していない効果を、どのように合理的に分析できるのか、という厄介な問題にぶち当たっていた。現実の生の感情なりヒステリーなりの効果は支配できず、それは科学の対象になりにくいが、「転移」を作り出せば、それは合理的な科学の対象となるとフロイトは考えた。この「科学」は「化学」でもある ― 精神分析は精神「分析」であること―化学者が物質を「分析」するような学問であることを―をフロイト自身強調していた。