漱石と「小公子」と精神科療法

必要があって、金子準二の日本の精神医学の歴史の資料集にあたるものを読む。文献は、金子準二『日本精神病名目志・日本精神病俚言志・日本精神病志・日本精神病作業療法志』

金子準二は日本の精神医療についての大著を書こうという野望を持っていて、そのための資料を集め、まとめていた。どこかで、それを一冊の書物に仕上げようという気持ちを失ったのか、資料を時代順に並べてコメントを付けた、資料集的なものを出版している。そのなかで、明治期から昭和戦前期までに出版された医学書の中から作業療法に関係する部分を抜粋した部分があり、今のリサーチで、精神病院内の作業療法について考えているので、そこを読んでみた。 

作業療法の効果については、もちろんそれが精神病を治すワンダードラッグではないことはだれもが承知していたから、書き方は慎重になっている。呉秀三は「作業は心身を修育し、馴致するからして、患者の態度は安静になり、その挙止整斉になり、催眠剤の需要も少なくなるし、動作の促迫して来るのが病み、病的の駆動が鎮まり、色々な病的の動機や傾向がよくなり、慢性の病人においても、尋常の感情や感念がおこって、意志の沈滞したのが尋常にかえるし、物事に興味が起こり始めて、自分から何か試作するようになって来るものである」「早発性痴呆のごとく、長時間病院にありて、精神荒廃に陥りやすいものは、作業によってわずかの精神機能を取り立て助け起こすことができるのである。感情が鈍麻して作業などはできないような彼らも、よく作業するものである」という。これは、当時のカルテを読んで、作業をした人とそうでない人を較べると、実感して意味が分かる。きっと、現場にいた人は、別の意味が分かるんだろうけれども。

それはそうと、気になることがあったので、忘れないように書いておく。森田正馬も書いているけれども、呉がフルスロットルで全力を傾注して書いているのが、患者は医学書を読むな、ということである。近来は通俗医書が著しく世間に歓迎されているが、これらの書籍は、たいてい豪も病人に利するところなくして、かえって大害をなすものである。民間療法など、不正確なことが書いてあるということもあるが、実は、専門の医書を読んでも害がある。心気性の患者はとくに医書を厳禁しなければならない。近来の著作中には、遺伝が恐ろしいこと、変質の忌むべきことなどが半可通で書いてあるが、これは、素因ある病人には、色々の害をなす。心情不安なる病人には、疾病の徴候、経過および転帰について説いた本を読ませてはいけない。

こうやって医学書を徹底排撃したあと、歴史、地理、博物学などがよいという。小説についてはあいまいな態度を取っていて、森田は、小説の中では、漱石もいいし、「小公子」のような可憐なものもいい、という。この取り合わせに笑う人もいるかもしれない。私も最初は思わず笑ったが、実はどちらも愛読している(いた)本だと気づき、やはり卓抜だと思う。森田と呉が、明確な嫌悪感を示しているのが自然主義である。「ことに近来の自然主義とかいう淫靡なる情史を直露する著作の中には、異常性欲を挑発せんとする如きもの少なからず。」というわけである。