『夢判断の書』

必要があって、アルテミドロス『夢判断の書』を読む。最古の夢判断の書として有名だけれども、この書物が翻訳されている幸福をかみしめる。文献はアルテミドロス『夢判断の書』城江良和訳(東京:国文社、1994)読むのは初めてで、それはそれは面白い書物である。

最初に夢判断の一般論が書かれ、それから二つの「書」が続く。それで一応完結するが、それに書き足されるようにして、次々と三つの「書」が書かれ、合計五つの「書」から構成される。最初の三つは弁論家の友人に宛てられ、最後の二つは、同じように夢占い師の自分の息子に宛てて書かれている。最後の第五の書は、アルテミドロスがあちこちを旅行して採集した夢判断の症例集で、このような夢をみた人間に、どのようなことが起きたかという事例と簡単な説明が付されている。

まず出発点でキモになるのは、「夢とは何か」という問いである。これについては古代ギリシアで色々な論争があったそうだが(解説はシンプルだけれどもとても優れている)、アルテミドロスはこの問題にはあまり深入りはしていない。しかし、私には十分深いところまで論じているように思った。何度も強調しているのが、夢(オネイロス)と、睡眠中の幻覚(エニュプシオン)の違いである。後者は、現在の身体や心に生じていることが、睡眠中に出てくるもの。たとえば、恋をしている男が睡眠中の幻覚の中で相手の少年と睦みあうことは、現在の欲望が幻覚になったにすぎず、何も教えてくれない。一方で、アルテミドロスがいうところの「夢」は、睡眠中に活動して未来の出来事を予言して理解させ、眠りが終わっても魂に活力を与え行動を促して予定の実現へ導くものである。

ここでちょっと厄介なのが、人が夢判断の知識を持っているか否かによって、夢なのか幻覚なのかが変わってくるということである。素人と夢判断の心得のある人では、睡眠中の幻覚の現れ方が異なる。一般の人は、望んでいるものをそのまま見るが、夢判断の技術を持った人は、象徴の形で見る。もし素人が象徴の形で見れば、それは幻覚ではなく夢になる。夢判断に通じたものが、ある女を愛したとすると、眠りの中でみる「幻覚」は、その女本人ではなく、女を意味する何かを見る。その実例としてあげられているのが、コリントスのある画工の例である。彼は、眠りの中で主人を埋葬する夢、住んでいる家の屋根が壊れたり、頭を切り落とされたりする夢を見た。ところが、この主人は、長生きした。この画工は、夢判断の技術を心得ていたため、彼の魂が、巧みな技を使って、彼を翻弄したのである。もし素人が見たならば、これらは、主人の死を予言する夢になっていたであろう。

一つだけ、夢判断を紹介しよう。自分が死ぬ夢である。自分が死ぬ夢、墓場へ運ばれる夢、埋葬されるといった夢を見たものは、故国に住んでいる人であれば、異国へ赴くであろう。人は死ぬと、もはやそれまでと同じ場所に留まってはいないからだ。逆に異国に滞在している人は、故国へ帰るだろう。死者は大地に埋葬される定めであるが、大地とは、すべての人間にとって共通の祖国に他ならないからだ。そして、死の夢が吉兆になるのは、「最終目標にたどり着く」ことを意味する運動選手、そして、自分の作品が墓碑に刻まれて後世に伝えられることを意味するから文学者などである。