『明治大正史 世相編』

必要があって、柳田国男の『明治大正史 世相編』を読む。講談社学術文庫に入っている「新装版」を読んだ。

朝日新聞の論説委員であった柳田が、新聞の切り抜きの資料を中道等なる人物に渡して、共同執筆の予定で書き進めたが、結局柳田が全体を書きなおすことになった、やや変則的に書かれた書物であるという。日本史の専門家が見ると、色々と問題があるのだろうけれども、私は楽しく読んだ。自分の現在の生活と昔の記憶の断片に、広がりがある意味が与えられて楽しい。いくつかの議論については、医学史の学者として、発展させて本気で使ってみようかなという気さえ起こすほど面白かった。

それとは別に面白かった話をいくつかメモする。一つは障子の導入についてである。日本を訪れた外国人は、日本人は壁が紙でできた家に住んでいると言って胆をつぶしていたが、この障子が農村に現れたときの農民の喜びは大変なものだった。以前の家は、寒風をさえぎるため、そして吹き降りをしのぐために、木戸やむしろ戸などで開口部をふさぐ必要があった。つまり、昼であっても家の中を夜のように暗くしなければならなかった。(ここがよく分からないけど、まあいい。)明かり障子の便利は前から知られていたが、紙が商品になって交易されるようになって初めて、農家では障子を応用できた。「障子に日の影のいっぱいにさす光は、初めて経験した者には偉大な印象であったに相違ない。」家の中は明るくなり、その明るさが「汚れ」の発見を容易にした。かつては家の中の明るさの唯一の中心であった炉ばたの重要性は相対的に低下して、明るい場所は一つでなくてもよいことになった。家の中に間仕切りを設けても、それで仕切られた部屋は明るく、幽閉を意味しなかった。光は片隅にまで到達した。「家の若者らが用のない時刻に、退いて本を読んでいたのもその片隅であった。彼らはおいおいに家長の知らぬことを知り、また考えるようになってきて、心の小屋敷もまた小さく別れたのである。」

もうひとつ、酒について。酒は飲んでも飲まれるなということを、今でも秀句のごとく心得て言う人があるが、実際には、人を飲むのが酒の力であった。客を酔い倒れにしえなかった宴会は決して成功とは言わなかったのである。味とか色とかの美しくなったのは、誰にも知られている近世史であって、昔は酔うという目的以外に、味や色香を愛してたしなむということがなかった。これが、このあたりの進歩をみて、酒の味や色香をたしなむようになったのは、「飲む側から言うと問題の混乱であった」。

私は、酒に飲まれてしまうほど飲んだり、酔倒れになったりすることは、この20年くらいは記憶にないけれども、お酒を飲むときに一番大切なことは「酔う」ことであり、それ以外のことは「問題の混乱」であるというのは、激しく同意する(笑)ワインの赤か白かだけ決めて、あとはソムリエやウェイトレスや同席している人に任せるというのは、酒に対する態度としては、近代の混乱と不純にけがされる前の、中世の澄み切った生き方なんですよ、いいですか(笑)