水治療法(ハイドロパシー)の歴史

必要があって19世紀後半のアメリカの水治療法の歴史を研究した書物を読む。文献は、Cayleff, Susan E., Wash and Be Healed: the Water-Cure Movement and Women’s Health (Philadelphia: Temple University Press, 1987)

水治療法(ハイドロパシー)というのは、19世紀の半ばにシュレジアの一農夫であったプリースニッツが開発した治療法で、ヨーロッパとアメリカで大流行した。当時は、ホメオパシーを皮切りに、正統医学と異なった世界観に基づいて特色ある治療法を提唱する「代替医療」の全盛期であった。これは、違う治療法というだけでなく、違う哲学と思想に基づいた身体観・病気観・治療哲学に裏打ちされていた。これらの代替医療は、教養ある中産階級にも人気があった。医学の正統にいたパリの臨床医学革命は死体の記述は正確だったが治療法には興味がなく、実験医学は科学的に厳密だということだけが取り柄で、イヌに毒薬を注射してその作用を研究して興奮していた。治療方面では、正統医学が危機に瀕していた時期であった。

アメリカのハイドロパシーは、代替医療の中では比較的遅く現れたものであるが、この書物によれば、代替医療の社会改革的な側面をあつめて象徴している。1840年代にドイツから導入されてすぐに成功した。その治療法は温和で、大量の瀉血や水銀などの重金属の強い下剤・吐剤に頼る正統医療に較べて、患者にやさしかった。正統医療の体内の乱れをねじ伏せるという感じの治療モデルに較べると、外界の自然と調和する志向を持っていた。医者―患者関係は平等で協力的であり、それがもつ社会イデオロギーは進歩的であった。男性にも女性にも人気があったが、女性患者についていえば、女性は病理的な生理をもち虚弱な身体を持つとは考えておらず、女性患者に自分の身体の自己決定を選択する権利を与えたという。

ひいきの引き倒しのような記述が多いけれども、面白かった。