必要があって、ベルナールの実験生理学を題材にして、科学社会学と科学史を包含する試みを示した古典的な論文を読む。文献は、Coleman, William, “The Cognitive Basis of the Discipline: Claude Bernard on Physiology”, Isis, 76(1985), 49-70.
この論文が書かれたころには、科学社会学と科学史というのはずいぶん違う学問だったらしい。科学社会学は、研究対象とする科学の内容に興味を持たず、その社会的な外皮だけ研究していて、その一方で、科学史のほうは、「インターナルな」と呼ばれる視点で、科学理論の中身にばかり興味を持ち、社会的な側面には興味を持っていなかった。(少なくとも、コールマンによれば、そのようにまとめられている。)この二つの視点を融合することで、科学史と科学社会学は非常に接近することになる。この融合が起きるためには、科学理論の中身と、科学理論が社会の中でもつ「機能」という二つの問題を同時に論じる枠組みが必要であった。コールマンは、この枠組みを作るいくつかのモデル的な論文を発表していて、この論文はその一つである。
この論文のキモは、実験生理学を社会的に実現するというベルナールの関心が、実験生理学に特別な認識論上の形を与えたという立論である。ベルナールは、実験生理学という、(フランスにおいては)当時はまだ理念上のプログラムに、独自の社会的な実在を与えることを目標にしていた。平たくいうと、実験室を医学校に備えさせ、実験に基づく基礎医学を医学教育の中に組み込むことが目標であった。そのためには、実験生理学は、近隣の知的活動とは、認識論的に異なるものでなければなかった。ベルナールが、実験生理学の認識的な特徴は、博物学的なただの観察とは違うこと、そして医学の他の分野の活動(たとえば臨床医学)とも異なっていることを非常に強調したことは、認識論上の独自性が、科学者・医者の共同体における政治学の中で、大きなアセットになっていたことを見抜いたのである。実験生理学は知的に新しい。それゆえ、予算を割いて新制度・新設備を実現させなければならない、というロジックである。
もともと視点と議論の仕方を考えるために設計されたリサーチと議論で、現在では格別新しいわけではない議論である。というか、そう感じるのは、この視点が成功したからだろう。 「こういう方法でなければ何か」ということを考えているので、色々考えさせられた。