西遊記(二)

三蔵の前に観音様が現れて取経のために西に旅立つところから、悟空、龍(三蔵の馬となる)、八戒の順番で、弟子を一人ずつとっていく部分のお話し。しかし、つくづく、構想は壮大で、細部には知的で奥深い仕掛けが象嵌のようにはめ込まれ、宮廷の豪奢、妖魔が現れるときの幻想的な恐怖、孫悟空と魔物の勝負の勇壮さ、そして美女が現れる時の官能的な描写など、さまざまな要素を織り込んで一大長編になっているこの作品を生んだ中世中国の社会の成熟に驚嘆する。ありきたりな感想だけれども、この時代の中国は、世界の文化のトップランナーだったんだなあ。

この巻の冒頭には太宗の冥界巡りのエピソードが置かれているが、それに関連した話で、いったん死んで冥界に行った男が生き返ってこの世に帰ってくるという話がある。これを「還魂」というそうだが、そのためには五体満足な死体がなければならない。そのなかでもやはり最も必要な部分は「首」であるから、死体のことを「屍首」という。斬首刑などで首が失われた死体には還魂できず、それゆえ首と頭部が保全される絞首刑・縊首刑は、斬首刑よりも軽い刑ということになる。また、死後かなりたってから何かの事情で還魂しようとすると、屍首が使い物にならないことが多い。腐敗していたり、損なわれていたり、消滅していたり。そういうときには、他人の屍首を借りて還魂する「借屍還魂」という手段が取られていたという。