佐藤八寿子『ミッション・スクール』

必要があって、ミッション・スクールのカルスタを読む。佐藤八寿子『ミッション・スクール』が中公新書から出ている。話のハイライトは、大正期のミッション・スクールを舞台にした小説や、在学生・卒業生が重要な登場人物になっている一連の小説の分析である。『蒲団』『桜の実の熟する時』『黒い目と茶色の目』などが取り上げられていて、超有名なところでは『三四郎』が分析されている。この著者によると美彌子さんはミッションの卒業生だそうで、私はこれまで彼女の出身校なんて気にしたことがなかったけれども、言われてみたらそのとおりだと思う。『猫』で、細君が「そんなに英語ができる女がいいなら、耶蘇学校の卒業生でも嫁にもらったらよかったんだわ」という台詞があったことを思い出した。

「これぞカルスタ!」という文章をふたつほど引用しておこう。「立身出世主義者と良妻賢母が相補いつつ社会的役割を果たす陽画(ポジ)であるなら、[ミッション・ガールが象徴する]ファム・ファタルは日本知識人の欲望の陰画(ネガ)そのものである。」「夫は妻に、現実生活の中では良妻賢母のスキルを要求しつつ、イメージの中では『女学校出』を欲望した。『女学校出』であることは、すでに夫の中で消費される記号のひとつとなる。」「XがYのネガになっている」「XがYを記号として消費する」という言い方がぴったりとはまる事態に出会ったことがないから、私にはどういう事態を表現しようとしているのかぴんとこない。こういう台詞回しの物書きが増えているような気がするんだけど、この台詞回しは誰のものなのかしら?私が若い頃は、駒場で言うと、蓮実重彦先生や廣松渉先生など、独特のスタイルと台詞回しを持った文章を書く影響力がある学者がいて、彼らの真似をしている学生はすぐにわかった。