『神々の黄昏』


新国立劇場ワーグナー『指環』の最終夜、『神々の黄昏』を観る。『指環』の中で私が一番好きなのは『ワルキューレ』だけれども、その次に好きな作品である。ジークフリートの葬送や大団円のブリュンヒルデの熱唱は、いつ聴いても素晴らしい。英雄とその死を描くオペラは他にもあるけれども、ある「おきて」を持った一つの世界が終わり、それとともにその世界の力と呪いの双方が消滅したことを表現する音楽は、やはり空前絶後のものだと思う。

これは、ワグネリアンの皆様に聞いてみたいのですが、私は『神々の黄昏』の最後で、オーケストラが完全に鳴り止んだあと、少なくとも10秒か20秒は、拍手をしないでいたいと強く思っている。月並みな言葉でいうと余韻を楽しみたいというのかもしれないが、それとは少し違う。上にも書いたけれども、自分が20時間その中にいた「世界」が本当に終わったという気持ちの整理には少し時間が必要だというほうが近い。拍手をしない時間の長さは、感動の深さを表現する尺度であるといってもいい。

ところが、今回の公演でも、「トーキョー・リング」の初演だった数年前の『神々の黄昏』でも、エンディングのオケが鳴りやんだ途端に間髪を入れずに拍手をする人たちがいる。彼らは彼らなりに、すぐに拍手することで感動を表現したいと思っているのだろう。これがアメリカ流のオペラの観客のしきたりなのかどうか分からない。(アメリカでは、興奮した観客がオケがまだなっている間に拍手を始めるのがしきたりだという印象を持っている。)今回、私の周囲に座っていた人たちの反応をちょっと観察したら、「余韻派」のほうが多かったような気がする。