児童精神医学

同じく新着雑誌から、20世紀イギリスの児童精神医学の形成について。文献は、Evans, Bonnie, Shahina Rahman and Edgar Jones, “Managing the ‘Unmanageable’: Interwar Child Psychiatry at the Maudsley Hospital, London”, History of Psychiatry, 19(2008), 454-475.

ロンドン郊外のイギリスの精神医学の研究病院であるモーズリーの児童精神医学セクションに着目した研究。1918年に嗜眠性脳炎の流行があり、その後遺症を研究した医者たちは、これは感覚・運動的な障害ではなく、衝動をコントロールできなくなっているとみなした。これを「脱道徳化」demoralization という言葉で表現した。それと同時期に、モーズリーの児童患者は、富裕な家庭の子供よりも貧しい家庭の子供が増加してきた。1924年には1/7しかいなかったロンドン市(LCC)に紹介されて入院する児童が、1937/38年には半分以上を占めるにいたっている。これは貧しい労働者階級の家庭の子供たちで、学校を欠席したりしがちな子供たちであった。これとともに、モーズリーは学校医との連携を密にするようになった。こういった、患者層の変化、クライアントの変化(個々の富裕な家庭からLCCへ)、連携相手の変化のあとで、モーズリーの医者たちは、児童の精神障害を理解するための新しい概念的な枠組みを使うようになった。それまでは、19世紀の神経学に基づいた運動・感覚の障害、特に反射の障害と、進化論と変質理論が基盤にあったのが、「行動障害」という概念が使われるようになった。これは、かつての身体的な科学に基づいた人間の動機と駆動力という概念を保つ必要がなくなり、19世紀の心理学から離脱したものと考えられる。

無駄話を少し。私自身は使わなかったけれども、「日本脳炎」という罵倒語がむかしあった。 たぶん、小学生新聞のマンガか何かで使われていた。いまの「気違い」と同じ意味で使われていたと思う。 たしか、ポワロものでも「脳炎」という言葉が使われていた。