淫事と精神病

必要があって、日本のマスタベイションと精神病の関係についての医学・精神医学の学説史をまとめた研究を読む。文献は岡田靖雄「淫事と精神病-精神病学学説史の一断面-」『日本医史学雑誌』35(1989), 1-25.

日本の医学において手淫の害を説く学説は西洋医学がもたらしたものである。1860年代のフーフェランドの翻訳で「一度の房事は六オンスの瀉血に同じく、一度の手淫は六度の房事に同じ」といわれているという。(これはだいたい一リットルの瀉血ということになる。)明治初年から造化機ものといわれる絵入りの通俗性科学書が多く出たが、翻訳ものはもちろん、日本人の手によるものでも、このジャンルでは手淫の害が大げさに戒められた。神経の全体がすべて崩壊するだとか、万病のもとであるなどといわれた。しかし、大正・昭和期になると、手淫そのものよりも、手淫の害を恐れることが有害であるとか、手淫で病気になるのは、もともと精神病体質を持っている場合であるという議論が優勢になる。手淫大害論から無害論に移行したのである。

1885年には『東京医事新誌』上で、手淫の害をめぐって医者たちの間で論争があった。そのときの手淫大害論者の一人である石川慈悲蔵は、手淫よりは「花柳の設」を利用したほうがよいとまで言っている。費用はかさむけれども、最近は梅毒対策は整ってきたという。

この議論で常に問題になるのが、性交に比べて手淫の害が大きいのをどういう仕掛けで説明するかという課題であるが、中には、交合の場合は人身電気、化学電気(舎密電気)、摩擦電気の三つがあるが、手淫のときには摩擦電気しかなので神経が大いに疲労するという説明もあった。精神医学者は手淫が狂疾の原因となるのは、概念想像によって射精にいたる、精神上手淫の害が激しいからであるといっている。