精神保健福祉法以前

必要があって、精神保健福祉法までの経緯を解説した論文を読む。文献は高柳功・仙波恒雄「精神保健福祉法改正とその背景-戦後精神科医療の歩み」高柳功・山角駿編集『精神保健福祉法の最新知識-歴史と臨床実務』(東京:中央法規、2007), 167-198.

1950年に警視庁で精神科医療の法律改正に長く携わっていた金子純二が中心になって精神衛生法が作られた。精神病院の設置を都道府県に義務付けたこと、私宅監置を廃止したこと、精神衛生監察医を設けたことなどが改革の中心である。そこで、古い精神病院法の考え方である強制入院と、私立病院に公費で入れさせる代用病院の発想が、措置入院と指定病院と名前を変えてのこり、この両者が戦後の日本の精神医療の発展の中核となる。七入院は最初は健保と別立てだったためにあまり増えなかったが、昭和36年に措置入院が健保に準じることになり、国の補助費が引き上げられると、措置入院へのなだれ現象が起きた。昭和39年には全入院者に占める措置入院率は37.5%のピークに達した。精神病院に入院する患者の1/3が行政府による強制入院であった。昭和39年のライシャワー事件も在宅の精神病患者を保安的な理由で収容する方向への流れを作り出した。この年代に、精神科病院の建設ブームが訪れ、毎年2万床から3万床規模の精神病床の増加があった。二万床といえば、戦前の公立・代用・私立のすべての病床をかきあつめた病床合計と等しい。その水準の増加が毎年あったのだから、いかにすさまじいブームだったのか想像できる。この時期にみずぶくれした低劣な精神医療が、昭和59年の宇都宮病院事件いらい、公衆の目にさらされて厳しい批判を受けることになる。