『花物語』


具体的にはどんな「必要」だったのか思い出せないけれども、とにかく必要があって、吉屋信子の出世作『花物語』を読む。大正5(1916)年から『少女画報』をはじめ、一連の少女雑誌に断続的に連載された短編集。少女が出てきて花にまつわる美しく悲しくロマンティックな物語をするという設定である。当時の少女雑誌の連載では大変な人気があったとか。

書籍冒頭のこの言葉をメモしておきます。

帰らぬ少女の日の
ゆめに咲きし花の
かずかずを、いと
しき君達へおくる。

後に中原淳一が挿絵をかいた版が復刻されていることもあって有名だけど、大正9年に洛陽堂から刊行された、もっとも早い単行本が大学図書館にあった。Wiki には、「洛陽堂から刊行された単行本ははがき大の大きさで、本を収めるセピア色のケースの中央部には四角形の白い和紙が貼られ、繊細な文字で「花物語」と書かれている。本自体も深い緑色に金粉でスズランの花が描かれている。」とあるけれども、まさしくそのとおりです。って、当たり前だけど。

甘く浪漫的な話ばかりだったのだけれども、病気にかかっても医者を呼ぶことができない「穢多部落」の話が出てきて驚いた。主人公は心清く優しい女の子で、野原で知り合った少女の父親が病気だけれども医者を呼べないことを知る。お医者さんのお父さんに頼んで、こっそりと真夜中に穢多部落まで往診にいってもらうという話。 社会問題に無関心だと思われがちな少女趣味の権化のような作品に、いきなり被差別部落民の話が織り込まれてきたので、ちょっと驚いた。少女向けの文芸作品は社会問題に対して無関心であるというのは、むしろ男性側が作り上げた神話なのかもしれないな。 

画像は、『花物語』のリプリントより。