柳田国男『都市と農村』

必要があって、柳田国男の『都市と農村』を読む。昭和4年に朝日新聞社から出版された版が大学図書館にあった。

当時、国家的な問題となっていた農村の疲弊と衰亡、そして日本における都市と農村の関係について、歴史や文化についての知識と深い洞察を展開した書物。昭和4年当時に、農村衰亡についてどのような議論があったかということが分かると、それらの多様な意見や政策提言を背景にして、柳田の主張がわかるんだろうけれども、あいにく、誰がどこでこういっているが、という情報は書いていない。それがわからなくても、とても読み応えがある内容だった。内容を断片風に。

都は多くの田舎人の心の故郷であり、村の旧家の系図をたどると、最初は必ず京に生まれた人が落ちぶれて鄙(ひな)に入ってきたことになっている。

日本の「純農村」というのは現実を捉えていない。農民は長いこと農業以外にもさまざまな副業や稼ぎをして生活してきた。一戸で10や20種類の作物を作り分けるだけの技量をもった農民というのは日本にしかいない。

「無省察にまた不正確に<文化>という一語が今日使用されている。」文化美濃紙から文化住宅まで。

農村の大部分の農民は「勤労を快楽に化する術」を心得ていた。都市でこの術を知っていたのはごくわずかの芸能の士、学問文章に携わる者たちだけであった。

江戸の落首や風刺などについて、その庶民による権力批判の側面が高く評価されて持ち上げられることが多いが、柳田はかなり批判的な態度をとっている。「通弊と目すべきは、嘲笑の集中、ことに弱点の指摘が皮相の観察に基づいて、単に現前の多数意向に迎合しており、史論としてすらも大いなる価値のないことであった。」このメカニズムで、多数派が迎合して嘲笑を集中させるために作り出した虚像が、江戸時代の「田舎者」像であったという。なるほどね。