アメリカのフリークス

必要があって、アメリカのフリークス研究を読む。文献は、Adams, Rachel, Sideshow U.S.A.: Freaks and the American Cultural Imagination (Chicago: University of Chicago Press, 2001).フリークス研究は、アメリカを中心に盛んになっていたことは聞いていたけれども、これは面白い主題である。 

色々な畸形の人間を展示して「芸」をさせるフリークス・ショウは、歴史的にはアメリカでは19世紀にはじまるが、近年、さまざまな圧力がかかって衰退している。しかし、その一方で、人々の意識の中ではむしろルネッサンスを迎えていて、数少なくなったフリークス・ショーはむしろ活気を呈している。新時代のフリークスは、カルスタの理論や芸術の批評理論を身に付けたインテリで、売店ではポスト構造主義の哲学書を売っているという。

アメリカの大衆社会化にともない、商業主義と博物学などの学問が合体したフリーク・ショウが生まれた。これは時事問題に敏感に対応し、その時々の話題に応じてフレキシブルに「フリーク」を定義できた。ただ髪が長いだけの女性も「フリークス」として展示された。このショウは、騒々しい相互作用で観客と演者が融合するカーニヴァルというよりも、視覚の圧倒、観客と演者の境界、演者たちのコレオグラフィーなど、スペクタクルとしての性格が強いが、現実には、フリークスは観客に言い返したり、観客が本物かどうか疑って介入するなど、厳格には守られなかった。

NYのブロンクス動物園で1906年にオタ・ベンガというピグミーが展示された。サル園でオランウタンと同じ部屋であった。彼の鋭くとがった歯は「人肉食」の証拠だとされて、歯をむき出して笑っている絵葉書が売られていた。

UCバークリーズの人類学博物館では、インディアンの男性(イシ)が「最後の石器時代人」として1911-15年に展示された。あまりにも大人気で、大学側としては別の用途に部屋を使いたかったのだけれども、需要がすごくてイシが結核で死ぬまで続行しなければならなかった。