新薬スタチンの発見

必要があって、遠藤章『新薬スタチンの発見―コレステロールに挑む』(東京:岩波書店、2006)を読む。

三共製薬時代にアオカビからコレステロール合成を阻害する物質スタチンを発見し、動脈硬化の治療への道筋を切り開いた化学者による研究回顧。新薬開発の裏話しが中心。動物実験の設備がなくて、発酵研究所の四畳半でネズミを飼って実験した話や、大崎駅西口の「蓬」という小料理屋で同僚に不要になったニワトリで実験してもらえないだろうかという話に、弱小製薬会社の悲哀を漂わせる。(ちなみに、別の場所で遠藤が書いているところによると、その小料理屋のママは青森出身の未亡人だそうである。)一方、三共の内部での意見の対立を描くときには、三共を去って東京農工大に転職した遠藤の「しこり」のようなものが感じられる。三共がスタチンを開発することを決めた大阪大学での臨床試験(三共の他の部署には知らせずに極秘で行われた試験であった)については、防衛的な口吻になっている。結局、スタチンの開発は1980年代からはアメリカの巨大製薬会社のメルクが牽引することになる。そのありさまを、遠藤は「[メルクの科学者の]論理的で大胆、かつ緻密な論文に圧倒された。わが国の製薬企業とは比較にならない底力を感じた」と率直に述べている。

三共が独力でスタチンの実用化と認可まで推進することはできなかったのかな。そう考えると、貧弱な製薬会社の研究体制の中で、必ずしも十分な教育を受けていなかった遠藤(大学院に進学せずにそのまま三共に就職している)が、大発見をすることができたという事実は、1980年代になっても、かつてのインデペンデントな研究者が裏庭の個人研究室で大発見をするというロマンティックな科学の新発見の名残があったということだろうか。もちろん、遠藤の三共はそれなりに大規模な設備を備えており、2000種類の菌類をそろえることができたから、裏庭の研究室というのは当たっていないけれども。というよりも、新薬のもとになるアイデアの発見は優れた着想と幸運によるもので小規模な組織の個人でも可能だけれども、それを実用化と安全性のチェックと認可まで持っていくのが、大企業でないとできないということかな。いや、これは、史実についても視点についてもまったくの無知で色々書いているんだけど。いつも思うんだけど、無知ってなんて楽しいんだろう(笑)