イスラム医学と症例

同じく新着雑誌から。イスラム医学と症例について論じた論文を読む。テクニカルな資料の話が多かったけれども、たぶん、どの時代・地域の医療と医学を考えるうえでも重要なことを言っている。文献は、Alvarez Millan, Cristina, “The Case History in Medieval Islamic Medical Literature: Tajarib and Mujjarrabat as Souce”, Medical History, 54(2010), 195-214.

ポイントは、多くの医学史研究者が潜在的には直面している問題で、医学の理論と実践が必ずしも一致しない中で、実際の患者に実際に行われたこと、その患者に起きたことを記録した「症例」はどこに位置するのか、歴史資料としてどのように使えばいいのかという問題である。有名なところで言うとドゥーデンの『女の皮膚の下』がこの分析に基いて18世紀の女性の身体感覚を症例から抜き出している。

似たような基礎作業をイスラム医学史研究の文脈で行おうという論文である。イスラム医学史研究は、これまでその理論的な著作に集中してきた。一方で、「症例」(case history)というジャンルはあまり注目されず、その意味も誤解されてきた。理論的な著作は、学問を奨励する国王などのパトロンを念頭に置いて書かれたので、その内容はギリシア医学と自然学の理論の蘊奥を尽くして自分の学識を見せつけるものであった。症例においても、著者・医者の学識を示すようなメッセージが作られていた。

えっと・・・症例の中から、久しぶりに浣腸の話題です(笑) イブン=シーナはギリシア・イスラム医学理論の大家として中世のヨーロッパでは神格化されたが、自分の病気はまったく直せなかった。あるとき、性欲が激しすぎて激しい腹痛にかかり、それを直そうとして浣腸を一日に八回もしたので腸に潰瘍ができて、腸の皮が外に飛び出してきたという。