説明装置としての狐憑き

未読山の中から、だいぶ前にいただいた論文を読む。文献は、五島敏芳「近世後期の狐憑きと百姓―信州佐久郡五郎兵衛新田村の一事例の紹介から―」『信州農村開発史研究所紀要 水と村の歴史』1381998), 112-137.

信州から江戸にきていた女性の異常行動についての複数の資料を丹念に読み解く論文。江戸で作られた資料と、その女性の出身地である村との間で取り交わされた書状や村の記録などをつきあわせて検討し、その女性が「狐憑き」であるとされ、それにふさわしいディーテイルとともに描かれているのは、その村に行政的な面倒が及ぶのを防ぐための巧妙なフィクションであったという「謎解き」をしている論文。著者は推理小説がお好きなのだろうか、一言でいうとミステリータッチの論文で、江戸と信州の村をまたにかけて作られた資料から析出された謎を、色々な伏線を張ったうえで解決していくという構成になっている。

ミステリの部分はさておき、重要なポイントは、正気の上で村から脱走したら本人はもとより村の責任者も罪を問われるのが、「狐憑きだから」というと免罪されるという構図があったということである。この「免罪力」がどの程度重要だったかは分からないが、もしかなり重要だとしたら、この説明装置は、長く生き延びて人々の風景の中の一部になることは容易に想像できる。一方、行動に関する自己責任を唱える権力の側が、狐憑き説明を排斥することも想像できる。(言うまでもありませんが、これはどちらも素人の想像で、著者がそう言っているということではありません。)