バーンズの論文を読んで、七山順道がどういう仕方で『傷寒論』に典拠し改善しようとしたのか想像するために、入門用の『傷寒論』を眺めてみた。南山堂から出ている森由雄著の『入門傷寒論』という書物。これは読んだというより想像しただけだけれども、バーンズが書いていたことがいくつか分かった気がした。
ひとつは、順堂の患者が何人もの医者にかかった後に順堂にかかるケースが多かったという点である。『傷寒論』は、必ずしも医者が複数いなくてもいいが、複数の段階の治療が含まれているものがある。ある治療法を試みて、失敗したり悪化した場合には、こうこうしなさい、という治療法の指示である。数段階を経た病気の治療法を記すというのは、とても傷寒論的だったのかな。
もうひとつは、それぞれの条文が、数日単位で話が住んでいることである。「熱が3,4日続いたときは」というような形で、タイムスパンが短い。これは、もちろん、それが「傷寒」(急性熱病)だからであって、あたり前の話である。しかし、ここにガレニズムにおけるような、いわゆる「ライフヒストリー」がないこと、そして、江戸時代の医者たちが、数日程度の症状のアンサンブル(不正確な言い方だろうけど)で治験録を書いたということは、重要かもしれない。特に、この短期的な疾病観が患者にループして、江戸時代の人々の身体観に影響を与えていたとなると大きな論点になるかもしれない。ちょっと遠い見立てだけれど。