『王朝貴族の病状診断』

必要があって、平安時代の医学史の本を読む。文献は、服部敏良『王朝貴族の病状診断』(東京:吉川弘文館、2006)著者は、臨床のかたわら、昭和20年の『奈良時代医学史の研究』にはじまって、それから昭和53年の『江戸時代医学史の研究』まで、合計5巻の大冊を刊行した傑出した医学史家である。富士川游の『日本医学史』『日本疾病史』がドイツ流のアカデミックな医学史を伝えているのに対し、服部の書物は、点描的な性格もあるが、文化や社会などに目配りした広がりを持っている。

本書は二部に分かれ、前半は平安時代の疾病の解説、後半は天皇や貴族の病状の解説と診断である。後半は、医学史の世界で、「遡及的診断」retrospective diagnosis, と呼ばれている主題である。ニーチェは梅毒性の精神病だったかとか、徳川家康の死因は何かとか、そういったことを色々な文献を調べて診断するもので、隠居して暇になったお医者さんが趣味でやる医学史の典型である。本書の遡及的診断は、冷泉天皇は精神病ではなかったとか、藤原道長の飲水病は糖尿病だとか、それはそれで面白いし、水準が高い調査をしているが、学者として知的興味はかきたてられない。ただ、それは、私が個人の伝記研究をしたことがないからであって、きっと伝記研究をしている研究者にとっては、学問として重要な問題が見えてくるだろう。

前半の疾病の解説の部分は、平安時代の疾病概念・診断概念を論じている。それも、医学書だけでなく、当時の日記や手紙などにおける用法なども検討しているから、手法のコアとしては、疾病概念の文化史である。議論も詳細で読み応えがある。たとえば「風病」。これは、もともとは、四時五行の気である「風」が原因となって起きる病気という意味である。人間は生まれながらに風気を得て生活し、風気は皮膚や内臓に分布している。これが正風であれば健康だが、逆風となると、皮膚の間に入り、五臓に働いて、病気を起こす。その意味で、もともと、「風病」というのは、広い疾病概念である。『医心方』では「風病は百病の長であり、それが変化するに応じて他の病気となる」と記されている。たとえば咳が出るものを咳病、下痢を起こすものを痢病、熱の上下を繰り返すものを瘧病というわけである。そして、そういって明確に下位分類された病気を引いた後の残余を「風病」というようになる。その残りが、ふるえや麻痺などを特徴とする神経系統の病気、感冒など症状が不特定なものであり、正確が大きく異にする病気を「風病」というようになったという。ちなみに、いま「風病」とは、いわゆる「かぜ」のことであるが、「かぜをひく」という言い方は鎌倉時代に始まり、いつのまにか神経系統の病気をさして「風病」という用法を駆逐したが、中風、破傷風などに、その名残が残っている。

これ以外にも、寸白(すばく)、二禁(にきん)の分析なども面白かった。