必要があって、石田昇『新撰精神病学』第八版(東京:南江堂、1918)をチェックする。
石田は、
呉秀三のもとで東大の精神科を出た後、30歳で長崎医学校の教授となった俊英である。当時にしては珍しくアメリカを留学先に選び、ホプキンスのアドルフ・マイヤーのもとで学んだ。長崎に就職する前に書いた教科書は好評であっというまに八版を重ねた。しかし、石田はホプキンスで発狂し、結局、
松沢病院に入院し、そのまま松沢で15年間を過ごすことになる。このあたりは、石田の書物を読んで精神科を志した秋元が色々なところに書いている。