亀井勝一郎『大和古寺風物誌』

偶然、亀井勝一郎『大和古寺風物誌』を読んだ。1962年に出た平凡社の『世界教養全集』という全集ものの一冊に、谷崎の『陰翳礼讃』や小林秀雄の『無常ということ』などと一緒に入っている。

実は、本当に恥ずかしい話だけれども、奈良が好きな人物であるという自覚がありながら、この書物を知らなかった。偶然この書物に出会ってよかった。東洋と西洋の教養を交響させて、社会科学と文学を融合した洞察になっているだけでなく、色々な感性がいちいち肯うことができるものだった。たとえば旅行のスタイルについて。大和にいって、一回の訪問でひとつの仏像だけを心に刻むこと。「一度の旅には、ただ一つのみ仏を。そこへ祈念のために一直線にまいるという気持ち。」あるいは、戦争中に奈良が爆撃を受けてその遺産が灰燼に帰すことについて。「国宝級の仏像の疎開は久しい以前から識者の間に要望されていた。東大寺や薬師寺の本尊のごとき大仏は動かしえぬにしても、救世観音や百済観音等は疎開可能であろう。しかし、僕は仏像の疎開には反対を表明した。災難がふりかかってくるからといって疎開するような仏さまが古来あったろうか。災厄に殉じるのが仏ではないか。歴史はそれを証明している。」

ちなみに、この『世界教養全集』というしろものは、「全集ブーム」はなやかなりしころの産物です。大学1年の教養課程を再編成して、アメリカのGreat Books のようなコースをつくることを考えている大学教員には、大変なヒントになると思います。もちろん西洋偏重+日本思想という組み合わせだから、現在から見たら、かなりのものを入れなければならないと思うけれども。