同じ号に Katharine Park, “The Death of Isabella della Volpe” という、古文書の復刻があったので喜んで読む。16世紀イタリアの帝王切開についての証言である。
この時期の帝王切開というのは、もちろん現在の帝王切開と違い、母親の死後に子宮を切開して胎児を取り出すというものであった。外科の技術と消毒の関係で、生きている女性の子宮を切開して生きている胎児を取り出すことが、実現可能なオプションになったのは20世紀に入ってからであった。死後帝王切開は、テクニックとしては古代から知られていたが、14・15世紀以降に言及が現れるようになるが、その背景は教義上の関心が大きく、洗礼されないままになっている胎児の霊魂を心配して、可能なときにはそのテクニックを使うようにという命令を教会が出したことによる。たとえば、現在でもフィレンツェの通りに名を残すトゥルナブォーニ家では、1477年に行われたという。
ここで分析されているのは、1545年のイザベラという女性である。彼女の死が確認されたあと、腹にさわったら胎児が動いたので、外科と産婆とで話し合って、この手術を敢行した。子供は女の子で、体はできていて( well-formed )、生きて動いていたので洗礼を行ったが、すぐに死んだという。ここで体が「できていて」生きて動いていたので洗礼したという部分には、どこから人格と法的権利を認めるかという、当時の人間性の境界と深い関係がある。まず、体ができていたということの強調は、当時の社会が、形をなさないものを人間と認めなかったことと関係ある。子宮の中にできた形をなさない物体は、ただの肉塊であって、人間ではないとされていた。そこに手足が形成され動いたり感じたりするなどの特徴を示すようになってはじめて人間性の資格がうまれ、出産時に生きていること、そしてそこに洗礼が加わることで、人格と法的権利が完成する。(死産したものを洗礼することは厳重に禁じられていた。)これが強調されたわけは、細部はわからないが、この子供が生きて生まれると、父親には死んだ母(妻)の持参金に対する権利が発生したからであるという。もちろん、母の遺族は、子供は死産であったとして反対していたので裁判になり、その過程で作られた書類だという。
たとえごく短い時間しか生きていなくても、生きて産まれたのなら、死んだ母親の財産を誰が相続するかというのが変わる。これが背景で行われた帝王切開もあるのだろう。