必要があって、医療の社会化の力学を論じたすぐれた論文を読みかえす。文献は、高岡裕之「医療問題の社会的成立―第一次世界大戦後の医療と社会―」『歴史科学』No.131(1993), 23-37.
明治初期から中期にかけては、従来開業や試験開業のように、徒弟制まがいのシステムで安価な教育費用で教育された医者が多かったが、1906年の医師法、1916年の開業試験の廃止にみられるように、医師の高学歴化が進行し、医師は教育投資が著しく高い職業になる。それ加えて開業のための投資も高額化し、医師は診療報酬を通じてこれらの投資を回収しなければならなくなる。報酬をとりはぐれることが多い貧困患者は当然のように忌避される。
都市では実費診療にみられるように、単に医療の価格を下げるだけでなく、それが社会問題として論じられるようになった。むしろ、医療の社会問題化は、実費診療理念の社会的な浸透過程そのものであったとさえいえる。医薬分業も大きな医療の社会化運動のばねとなった。また、エリートとなり、大学水準の専門分化した教育を受けるようになった医者たちは、文化程度も低く、GPにならなければならない農村を忌避するようになった。この背景には、農村の人々が、都市並みの医療を受けたいという、文明化の要求を持つようになったことがある。
大正期から昭和期に行われた家計調査によると、都市部における俸給生活者と労働者を較べたときの差が小さいものであるのに対し、農村部においては、比較的富裕な自作農においても、都市の労働者に比べて圧倒的に少ない。