性病検診

必要があって、近代日本の「性の歴史学」を論じた著作を参照する。藤目ゆき『性の歴史学公娼制度・堕胎罪体制から売春防止法優生保護法体制へ』(東京:不二出版、2005)。

性病検査というと、性病の原因はすべて売春婦にありという前提のもとで、国家権力によって行われる娼妓の性病検査が有名で、19世紀のジョセフィン・バトラー以来、(特定の)女性に向けられる国家による性の暴力として、フェミニズムによる古典的な批判の対象である。本書も、それにその流れの性病検査を大いに(そして正当に)批判糾弾している。

しかし、20世紀に入ると、日本においても新しい診断技術(ワッセルマンなどの血清学的診断)の登場と新しい思想のもとに、売春婦の性病検査とは違った性格を持つ性病検査が唱えられ、実施されるようになった。その一つで本書が取り上げているのが、結婚前の男女が受ける性病検査である。1920年に平塚らいてう市川房枝が新婦人協会から提出した(国会に、ということだろうか)請願は、花柳病に罹った男子の結婚を禁止して、純粋な良家の子女が夫から性病に罹患することを防ぐことを目標にするものであった。翌年には男子が健康診断を受けて性病非感染を証明しないと婚姻届を提出できないようにする請願も提出されている。1938年に日本婦人団体連盟が提出した「花柳病予防法に関連する請願書」は、花柳病予防法を改正して性病コントロールの対象を娼婦を超えて広げて、より広範で大規模な性病の発見―強制的治療という体制を敷くことをとなえている。その請願書によれば、性病患者の結婚を禁じ、相互の健康証明書がないと結婚できぬようにすること、妊婦や出産児の健康検査をし、性病の感染が確認されたときには、感染させた者を強制的に治療できるようにすること、そのための診療施設を全国に設置し、無料・軽費の一般市民向けの花柳病予防所をもうけること、などがとなえられている。

これらの請願は、一言で言うと、思想的にはどのような起源をもつにせよ、その具体的な施策の水準においては、性病の診断―予防―治療を、売春と娼婦の脈絡とは別の場で法制化することをとなえているものであり、家庭―結婚という市民の生活に入るものであった。娼婦を医学的な検査の対象にして市民を守るのではなく、市民そのものを検査する医学的な権力といってよい。この部分は私の想像だけれども、かつての診断の方法が、ジョセフィン・バトラーたちが批判したように、女性の性器を観察したり、場合によっては内診したりする、侵襲的な性格が強いものだったのに対して、ワッセルマンに変化したことは、診断法をノーマルなものにしたことに貢献したのだろう。

思想などの潮流でいうと、フェミニズム優生学も、そして何よりも、自分の家を「感染する遺伝病」から自由にしたいという日本の家族主義も、結婚前に性病検査を受けることに大きく貢献したと思われる。健康証明書がないと結婚できないという優生学的な考えは、私の記憶だと、終戦直後に一度法案になりそうになった。(これを調べないと。)

・・・このての性病検査がどのくらい行われたかを、すぐに調べないと。実際、多くの保健所は「血清学的診断」を提供していたし。