古井由吉『杳子・妻隠』

同じ古井由吉の中編を二つあわせた新潮文庫、『杳子・妻隠』を読む。

「杳子」は芥川賞を受賞したというから、きっと初期の作品なのだろう。そう思って読むと、『聖・栖』において深みまで追及される、精神を病んだ女とその恋人の男がまるで共犯関係であるかのように精神病の世界に入っていく様子を描いた習作のように読めてしまう。杳子は大学生で、神経を病んでいて、うまく道を歩いて目標点に到達することができない。それはでたらめに歩くということではなくて、あまりにも完璧に一つ一つの中継点を確認しながらでないと進めないのである。その生きにくさは彼女の生活全般を満たしていて、たとえば人前でものを食べることができない。私たちが持つ「孤独感」と「秩序」と言えるものが誇張されて、人生の自明性を冒すようになったものであると考えていい。彼女が「病気」と呼んでいるその状態を「癖」と言い換えて、「君の癖なら、僕は耐えられるような気がする」という男からのセリフで終わる、孤独さと世界への違和感をぬぐいきれない者たちが作る世界の中では、望みうる限りのハッピーエンドの物語だと思う。