『日本書紀』

同じくヤプー論のための準備。福永武彦の『日本書紀』の現代語訳の文体が、『古事記』のそれに似ていて、ちょっとがっかりした。これは私の勘違いかもしれないが、別の文体で訳し分けるのかと思っていた。思えば、福永の古典の翻訳である『古事記』『日本書紀』『今昔物語』、どれもだいたい同じ文体じゃないか。まあ、それはいい。

岩波の日本古典文学大系(旧版)の『日本書紀』の解説を読んだら、家永三郎が、「研究・受容の沿革」と題した文章を書いていたから喜んで読んでみた。

日本書紀は、天皇家の支配を語った正史であるから、古代から熱心に研究されてきた。江戸時代には、天皇は主権者としての地位を失っており、皇室の起源を説くがゆえに記紀の説話を神聖とする政治的必要が存在しなかった。神代の説話についても、画期的な見解が出されていた。

明治以降は、むしろこの自由は失われた。言うまでもなく主権者としての天皇の神聖な地位の文献的典拠であったからである。日本書紀の概念は帝国憲法や教育勅語に影響を与え、神代説話や神武以下の天皇系譜は日本史の教科書に取り込まれた。その結果、かつては一部知識人のみが知るものであった日本書紀が広く国民に知らしめられた。しかし、戦前の体制の政治的な重要性により、日本書紀の研究は硬直・停滞した。大正デモクラシーの時期には、津田左右吉の一連の研究が現れたが、昭和15年には津田の著作は発禁になり、津田は有罪判決を受けた。(その一方で、神話的・民俗学的研究は、折口信夫や松本信広が研究を進めた。しかし、これは体制との摩擦をさける記紀研究であった。)

戦後において、記紀の政治的権威が消滅するとともに、記紀の記述を歴史的・科学的に吟味することが行われるようになる。歴史学による批判的な読解の伸展と並行して、神代説話の究明に対するタブーが解けたので、戦前からの研究をひきついで、比較神話・民族学・民俗学の研究が活発になった。昭和29-33年にかけて出版された、松村武雄『日本神話の研究』は、この成果をまとめたものである。

ヤプー』が『奇譚クラブ』に連載されたのが昭和31-34年だから、松村武雄の著作とほぼ同時代であることになる。記紀万葉の話はしないけれども、この本くらいは読んでおこう。