「熱帯医学」以前の熱帯医学

必要があって、「熱帯医学以前の熱帯医学」の論文を読む。文献は、Naraindas, Harish, “Poisons, Putresence and the Weather: a Genealogy of the Advent of Tropical Medicine”, Contributions to Indian Sociology, 30(1996), no.1, 1-36.

「熱帯医学」Tropical Medicine は19世紀の末にパトリック・マンソンが成立させた医学の一分科である。1898年にManson’s Tropical Diseases という有名な教科書が書かれ、ロンドンに熱帯医学校が設立された。(この教科書は一世紀以上にわたって改訂され続け、現在は22版だという。)この設立には、帝国の各地で病気になったヨーロッパ人を治療する仕事を、医学の制度化の中に位置づけるという動機もあったし、細菌学や寄生虫学が熱帯に特有または濃厚に分布する感染症を明らかにした科学理論が可能にしたという側面もあった。

この論文は、それ以前に熱帯がどのように病理化されていたのかを問うことで、「熱帯医学以前の熱帯医学」の理論を、社会学の視点から分析したものである。論文一本で、一世紀にわたる熱帯をめぐる医学を論じるのだから、当該分野の医学史研究者から見たらもちろん色々あるだろうが、私はとても面白く読んだ。一番のポイントは、体液論によって、すでに世界の色分けが行われていたということである。熱と湿気によって有毒にされた空気が血液を腐敗させて人が病気になり、それが温帯と熱帯によって分けられるという形で、「レトリックの上での空間」が作られ、それによって世界の病理的な色分けが既に行われていたことが、「熱帯医学以前の熱帯医学」にとって重要であるという指摘である。これが、マンソンの熱帯医学に受け継がれることになるのは説得力がある。この系譜に、フーコーが分析したようなパリの病理解剖学のモデルが、どのように<無関係>なのかという考察は、意表をついた問題設定だった。