ヒステリー性夢遊状態

必要があって、昭和10年のヒステリー性夢遊状態の記事を読む。文献は、北村潔「興味ある<ヒステリー>の二症例」『今村教授還暦祝賀記念論文集』(京都:京都帝国大学医学部精神病学教室、1935), 394-398.

京都帝国大学の今村新吉の研究室からの報告。外傷性神経症や司法精神医学などの面白い症例を含む。これは、シャルコーからフランスの研究者に引き継がれた<ヒステリー系>の疾患の一つである。36歳の強健な男子で、帝大出身の工学士である。卒業後、経済的に不安定で浮沈を繰り返していたが、やっと安定した就職先をみつけてはじめての月給をもらった日に、家に帰らないところから事件が始まる。当日の朝は元気に家を出たし、俸給袋を貰って仕事先を辞したときにも変わりはなかったが、その日に自宅に帰らず、それいらい何日たっても杳として行方が知れない。妻は夫の失踪時にすでに臨月であったが、出産しても夫が帰らぬので、大阪朝日新聞に写真付きで尋ね人の広告を出した。

その翌日、ある巡査が、たまたま麻雀倶楽部で彼を見つけることになる。巡査は尋ね人の記事に目を留めて、その記事を警察手帳の中に織り込んでいた。麻雀倶楽部の板の間で寝ている人物が、尋ね人の写真にどうも似ているので、記事を見せて、これはお前かと尋ねると、その男は記事をしばらく繰り返し読むうちに吾にかえったらしく、妻は臨月だから早く家に帰らねばといい始める。ここでもとの人格に復帰したというわけである。

本人が語ったところによると、給料をもらって心斎橋で子供のお土産を買ったときに、俸給袋がないことに気づき、これはしまったと取りに帰ろうとしたとたん、「頭から足先までジーンとした」という。それから、一か月間、記憶がない。夜になると家に帰りたいような気がした。ある時、女が袖をひいて「お泊まりやす」というから「金がない」と答えたが「よろしいかな」と宿屋に連れ込まれた。しかし、これは女装した変態男子であったのでびっくりして逃げ出した。くだんの麻雀倶楽部には3回ほど行った記憶がある。

しかし、クラブの主人によると、この一カ月、毎日のように来ていたという。それまでもときどき来たが、麻雀が弱く、いつも負け続けていたが、この一カ月は毎日勝ち続けていた。運がまわってきましたなというと、得意そうにそのようだと答えていたという。人格が変わると麻雀も強くなるとは(笑)

冗談はさておき、この症例は、当時の都市生活の最先端における「オモテ」と「ウラ」の領域の放浪譚としてのヒステリー性夢遊状態をよく伝えてくれている。帝大の工学士、俸給生活というオモテの生活に、麻雀倶楽部に変態男子の女装売春というウラの生活。それがたずね人広告と巡査によって結ばれる。この構図は、本気で憶えておこう。脳病院の患者たちの病歴に、このパターンは、たしかな形で頻出する。