R.L.スティーヴンソン『死体泥棒』

必要があって、『ジキル博士とハイド氏』『宝島』で有名なスティーヴンソンの短編『死体泥棒』を読む。 ウェブ上にいくつもフルテキストが掲載されている。私は以下のサイトから入手した。
http://gaslight.mtroyal.ca/body.htm

『死体泥棒』は1881年に書かれた短編である。もとは、恐怖小説集、The Black Man and Other Tales に収められる一編として意図されていたが、あまりに恐ろしく嫌悪感を催させるとして収録されなかった。1884年に、ショッキングでセンセーショナルな記事で悪名高かった Pall Mall Gazette が、スティーヴンソンにクリスマス特集号用の短編を求めたときに、Sが寄稿して日の目を見ることになった。これを掲載した雑誌の広告がロンドンに張り出されたが、あまりに不気味なものであったので警察に取り締まられたという。

小説の素材は、1827年から28年にかけて、エディンバラで起きた連続殺人事件である。二人の殺人犯の名前をとって、Burke and Hare Murders といわれている。これは、エディンバラの医学校の解剖学講師であった Robert Knox が、解剖教育用の死体を入手するのに、バークとヘアの二人に頼んで墓を暴いて死体を盗み出させ、その死体を買っていたが、死体が不足し始めると、さまざまな手管を用いて人をおびき出して殺し、その死体をノックスに売るようになった。合計で10名以上の殺人が記録されている。証拠が不十分であったため、二人のうちの一人が免罪と引き換えに自白し、残りの一人が死刑となり、見せしめのためその死体は解剖に処された。当時の医学部の教授は、解剖のときの死体の血をインクがわりにして、「これはバークの頭部からとられた血で書かれたものなり」と記したという。ちなみに、おおもとのノックスは罰せられなかった。

この事件の背景には、18世紀からヨーロッパ各国でみられた医学教育の進展がある。医学校・医学生の数が増え、解剖用の死体の需要が高まると、公式に供給される刑死体だけでは足りず、墓をあばく死体泥棒が横行し、それがさらに高じて連続殺人にいたったのである。このあたりの事情は、Ruth Richardson の名著 Death, Dissection, and the Destitute に詳しい。

前置きが長くなったが、スティーヴンソンの短編は、この史実をもとに、ノックスの学生でバークとヘアから死体を受け取る役目をはたしていた二人(フェッテスとマクファーレン)を主人公にしている。二人は、ノックスの助手として、最初は墓から盗まれた死体を受け取っていたが、ついに殺したばかりであることが歴然とした死体を受け取るようになる。年長の助手が年下の助手に、知らぬふりをするのが大人の対応だといいくるめたのである。そして、ついに、この二人の医学生は、共謀して殺人を犯すようになる。Mは強請られた人物を殺し、その死体を、解剖用に納品されたものとして帳簿につけるよう、Fにいい、Fは、その共謀に加担する。その死体を用いた解剖実習は、殺人が完全犯罪になっていく過程であった。殺人の証拠は、教授と学生によって切り刻まれて形を失っていき、解剖に特に熱心な学生に与えた頭部は細部まで切り刻まれて、誰の顔なのか分からなくなっていった。その中で、最初は動揺していたFも、安心していく。

しかし、真の恐怖は、次の死体泥棒のときに襲ってきた。FとM は、必要があって、自分たちで死体を墓から盗まなければならなくなる。真夜中に馬車を飛ばし、墓をあばいて最近埋められた死体を盗み出したところまでは普通のことであった。しかし、その死体がどうもおかしい。女と聞いていたのに男の死体らしい。不審に思った二人が調べてみると、その死体の男は、殺して解剖実習にまわして安全に処分したと思い込んでいた、先の男の顔であった。殺人の忌まわしい証拠が消えることなく、二人につきまとったのである。

殺したはず、死んだはずの人物が、この世界に返ってくるというのは、『ドラキュラ』や『クリスマス・キャロル』にも通じる、ヴィクトリア朝のミステリや恐怖・怪奇小説の基本的な道具立てである。それを、死体泥棒の主題に使った短編である。それから、お金と帳簿の小道具で特に鮮明になっているけれども、人体・死体を「売買すること」に対する強烈な嫌悪感が表明されている。「貨幣で買っていいものといけないものの区別がついていないのは経済学者だけだ」というセリフがあったけれども、昔は、その不名誉な座に医者が入っていたのか。