『インセプション』

2010年の夏に公開されて、英米では高く評価された映画。二回ほど飛行機の中で観たけれども、どうもぴんとこなかったから、とうとうDVDを借りて、もう一度観てみた。確かに飛行機のミニ画面で観るよりもずっと良かったし、説得力があった。

話の設定は簡単である。他人の夢の中に入っていって、その世界から秘密を盗みだしてくるという特殊な窃盗に長けている男・コブ(ディカプリオ)がいる。この男は妻を自殺に追い込んだというトラウマを持っていて、その妻が彼の夢の世界に神出鬼没で出没して彼の邪魔をする。もちろん、彼の無意識の罪の意識が、自分を責めているのである。

ディカプリオとそのチームに、秘密を盗みだすのではなく、大会社の御曹司の心の中に、ある考えを埋め込むために彼の夢の中に入ってほしいと依頼するビジネスマン・サイトウ(渡辺謙)が現れる。この作業が「インセプション」である。しかし、当然、夢にもセキュリティをかけているからこの作業は困難で、コブは新しいチームを組織して、夢の中でさらに夢を見てセキュリティを弱めていく。結局、三層の夢を見る作戦が計画され、最終的には四層の夢の世界が広がって行く。

話の理屈は通っていないのかもしれないけれども、私はもともとあまりそういうことを気にしないから、どうでもいい。夢の世界のヴィジュアルは素晴らしい。アメリカ映画だから、どうしてもカーチェイスが入ってしまうが、それは我慢できる。アクション映画としての切れも素晴らしい。それよりなにより、この映画の不思議な魅力と言うのは、自分の心の中に、入れ子仕掛けで展開していく、まったく違った世界の重層構造があって、それぞれの世界で自分が生きているという世界像を示されたときにの違和感である。自分の中に不思議な重層が広がっていると「気付いた」ときの「内向きの眩暈」とでもいうのかな。象徴的に言わせてもらうと、無限の宇宙を見上げたときにパスカルが感じたような眩暈ではなく、自分自身、そしてその心の中を覗き込んだときの知的な冒険と眩暈。そして、この感覚こそが、「あなたの心には無意識の世界があって、そこにもう一人のあなたが棲んでいる」と言われた時に、20世紀初頭の人々が感じた違和感と納得感であり、新しい複雑さをもった人生が始まったという感じだったのだと思う。この感覚は、この映画を三回みてやっと実感できたものだった。