稚児と僧侶の性愛

必要があって、それも緊急の必要があって、中世の稚児と僧侶の性愛についての書物を読む。文献は、田中貴子『性愛の日本中世』(東京:ちくま書房、2004)。特に冒頭におかれた「<稚児>と僧侶の恋愛―中世<男色>のセックスとジェンダー」という章を丁寧に読んだ。

中世の仏教寺院に存在した稚児について議論を組み立てている論文で、使っている概念装置は、ジュディス・バトラーのジェンダーとセックスの概念装置である。中世文学・宗教の議論をするときにバトラーを使うという選択を、知的大胆さと進取の精神とみるか、流行に不用意に乗ったお調子者とみるか、きっと賛否が分かれるところだと思う。優れた学者に、こう、まるで上から目線でいうようなセリフを吐くのは気が引けるのだけれども、身体の歴史の研究者であれば10人が10人、このマテリアルから作る議論であれば、使うべき概念装置はバトラーではなくて、フーコー/ドーヴァーであるというだろう。

概念装置の選択を別にすると、内容はとても優れていて、大いに勉強になった。ポイントをまとめると、以下のようになる。

中世寺院に存在して、僧侶と性愛の関係を持った稚児は、多くの物語に描かれ、「稚児物語」というジャンルもあるほどであった。稚児は、灌頂を経て神仏の化身として扱われ、僧が稚児に対して持つ思いは、神聖なものに対する感情に転換されるものであった。物語などの中で、美しい稚児を描写する仕方は、美しい女性を描写する仕方とよく似ていた。実際に、絵巻物などでも、稚児と女性の区別は難しいし、物語からも、両者が似ていたことがうかがえる。違いがあったのは、髪の質の描かれ方である。成人女性の髪は、とても長く、重さを感じさせる静的な美しさを感じさせるとして描かれたが、稚児の髪は、それが、ゆらぎ、乱れるときに、とりわけ美しさを感じさせるものとして描かれていた。そして、これが最も重要な点だと私は思うのだが、稚児は、僧侶に対する絶対的な服従を命じられた、受動的な存在であった。稚児の行動をしばる規則すらあった。また、灌頂の儀式のときには、肛門(「法性花」と呼ばれたそうだ)に僧侶の性器を受け入れて(明示的に書いていないが、きっと、「挿入されて」ということだと思う)、儀式が完成するという形式をとっていたらしい。つまり、肛門性交と服従を要求される存在であった。

うろおぼえだけれども、辻邦生の『花伝書』に、世阿弥興福寺東大寺だったかな)の僧侶の群に暴行されるように性愛の対象にされる記述があって、それを思い出した。