吉益東洞『薬徴』

岩波『日本思想大系 近世科学思想(下)』上巻はさまざまな農書で占められている。「日本思想大系」で取り上げる空海や日蓮本居宣長といった思想の巨人たちと並んで「近世科学思想」という項目ができて、しかもそのうちの一巻を「農書」が占めることになった興奮のようなものが伝わってくる解説になっている。共感できる解説ではないけれども、読むに値する。下巻は、天文学書が三点、医学書が三点収録されている。医学書は吉益東洞の『薬徴』『医事或問』と、後藤こん山の『師説筆記』である。

授業では、吉益をテキストに使おうと思う。特に『薬徴』の本文は、私にとって授業の予習をするのがすごく大変だから眺めるだけにして、最初の自序をがんばって読んだ。

尚書という古典にある言葉である、「君主にとって忠言が耳に逆うように、病人にとって、薬による瞑眩(めいげん)がなければ病気は治らない」を冒頭に引く。つまり、強い作用をもつ毒となるような薬こそが病気をいやす、あるいは、薬は毒そのものなのである。病気を治すとは、病の毒を、薬という毒で攻撃することなのである。しかし、本草にはいろいろあり、毒であるもの、毒でないもの、あるいは体を養うものなどがある。この中で、どの病気に何をどれだけ使えばいいのか、それを知らなければならない。毒を用いて病を攻める医者は<疾医>であり、毒を使う対象、そしてその量に気を付ける。しかし、体を養うものを知っている<食医>は、体の養いになるようなものを知っている。古の医者が持っていたかつての知識は失われたが、天地人は変わらずにある。私は、古の名医である扁鵲の法を試みて40年、その成果を記す。224-225.

薬物についての新しい状況が重要である。『本草綱目』のような優れた百科全書的なものを通じて、広い地域から収集された知識が体系化されたこと。中国の本草についての知識が整理されてあつまるとともに、国内の本草についても類似の知識が広まったこと。いまひとつは、日本と世界の各地から通商によって薬物をもたらす仕組みの確立である。

「古今異ならざるものは天地人なり。異なるものは論の説なり。その異ならざるをもって、その異なるを正すなり。」225