近世ヨーロッパのハンセン病患者の検査


近世のヨーロッパにおけるハンセン病患者、それも収容所に閉じ込められていない患者の取り扱いを描いた有名なニュレンベルクの「レプラ検査」という刷りものがある。これを丁寧に論じた個所を抜書きした。文献は、Demaitre, Luke, Leprosy in Premodern Medicine: a Malady of the Whole Body (Baltimore: The Johns Hopkins University Press, 2007).

後期中世から、定期的にレプラ患者の集団検査を行っていた。街の外に収容院が存在したが、これらへの入院資格は市民に限られ、また数も不足していたため、多くの患者が市の外に居住していた。レプラの患者であるという許可証は、人々から慈善のほどこしを受ける道具になっていたので、この許可証を得るため、あるいは再発行してもらうために、集団検査に訪れた。ニュレンベルクでは、聖週のうち4日間、彼らを検査して、レプラと判断された患者には、肉体と霊魂の双方のために施しをする行事を行っていた。1446年には、この4日間に市を訪れた患者を収容するための病院も建てられた。1493年の「レプラ検査」は、この様子を雄弁に一枚の「かわら版」にまとめている。

図は、説教をしている聖職者、告白を聴きミサをしている聖職者、人々に衣服と食事を与えている場面、そして医者が検査をしている場面が描かれている。患者は、レプラ患者の記号であった杖と音を立てるための「がらがら」を身につけている。

医者の一人は息の検査をしている。もう一人は、ある患者をゆびさして「あなたは患者ではないから、帰って、別のものをこさせよう」と言っている。この患者は、わざとらしく外套の前をあけてがらがらを見せると同時に、そこに財布も描かれていることは、偽患者であったことを示唆しているのだろう。 この文脈では、偽患者を見抜くことに強調が置かれていた。