『国体の本義』

「保健所法」により保健所が設立されたのは昭和12年で、同年には『国体の本義』が出版されていることにふと気が付いて、ネット上で入手して読んでみた。

私はこの重要なテキストの名前はよく聞くが、実は読んだことがなかった。これは、日本の明治から戦前の神道の思想について面白い本を書いたウォルター・スキヤ(Walter Skya―どう読むのだろう? )が書いているのだけれども、ナチズムのイデオロギーが思想史家によって研究されてこなかった理由と同じ理由で、日本の戦前の神道思想も研究が進んでいないという。思想史家は、ナチのイデオロギーをintellectual history の対象にすることに抵抗感をもち、それは sub-intellectual なものであるという態度を「無視」によって表現しているのだというようなことをゲオルゲ・モッセが言っている。同じように、戦前の神道思想も、知的な複雑性と深みに欠けた盲目的な天皇崇拝で、知的な検討に値しないと思われてきたという経緯があるとスキヤは言っている。そういう観察が正しいかどうかは別にして、『国体の本義』は読んでおかなければならない。

議論のかなりの部分は、天皇と国民の関係を論じている。日本の国民は、西欧啓蒙主義以来の思想で定義されているような個人ではなく、そのあつまりとしての人民でもない。天皇につかえて、上下の関係において和をなすように定められている全体の中の一部であるものとして行動すべきである。この、天皇に直接つながる関係を通じて、日本独特の社会や文化のありかたが論じられる。歴史であり文化史であるという側面を持っていて、戦後の日本史の研究者たちは、まずこのテキストと戦わなければならなかったのだろうなと想像できる。

医学などの自然科学に対する態度は、ある意味で予想できるもので、基本的には肯定的である。しかし、西欧の思想はすべて個人主義に基づくものだと言っている。個人的な治療医学と、予防医学を中心にした医療の社会化は、この議論によってむしろ後押しされたのかもしれない。保健所にはあまり関係はないけれども、読んでおいてよかった。