古屋芳雄『近代戦と体力・人口』

古屋芳雄・舘稔『近代戦と体力・人口』(東京:創元社、1944)からのメモ。戦時の民族科学をリードした、厚生科学研究所の古屋の論説である。

もともとは昭和18年5月19日に、厚生省大会議室で行った講義録に若干加筆したもの。「健民」運動をしているが、これは、民族力であると思ってくれ。ただ病気を予防するとか疾病を治療するとかではなく、それらを含めて総合的な立場にたつ人口の質と量の増強、すなわち民族力の増強が「健民」の意味である。 4

昭和12年と16年のデータなどを比べて、戦争がどのように体力・体格、あるいは民族力にマイナスの影響を与えたかを調べると、「恐れていたよりも小さい」「悲観することばかりではない」というのが結論。農村においては、体力の低下はおきていない。大都市に近接している農村の女子においては、それが一部現れている。妊婦の体重は12年と17年を比べるとかなり下がっていて、4.5キロの体重低下が起きている。しかし、よろこばしいことに、赤ちゃんは下がっていない。これは、「母親が自己の犠牲において胎児への影響を食い止めている」状態である。 7-10.

男子のほうが家庭で多く食う、あるいは多く与えられるから、景気が悪くなると、まず女子がやられる。9

12-17年において、鉄道の労働者でいうと、結核は1.8%から3.69%に激増している。これは食糧不足ではない。このほかの問題は禁じられているから申しません。都市の工員についても、重要な成績が出ていて省略する。しかし、決して悲観するべき問題ではない。作業の種別を明らかにしないと話ができないし、それが困るので出さないだけである。13 これは、どのような作業が危険かということを国民などに知らさないようにしたのだろう。

国民体力法によって発見された虚弱者、筋骨薄弱者、或いは軽症の結核患者などを、「弱者」という。弱者というのは変な言葉であるが、要するに、そういうものの養護の徹底を期し、必要があれば、これに修練を加えていく。 15

鍛練と生物進化の関係。近代人、特に大都市に住み文化生活をしている人がかえって体力が低下しているのはなぜか。この体力の問題を、進化の関係にひきもどして考えよう。 19

20-21 インテリ女性は赤ん坊が生まれると室温をいちいち測って着せ替えをさせて、それを文化と心得ているけれども、我々の体は調節力が与えられていて、鍛練の仕方によっては、シベリアでもサハラでも耐えられる。それが間違った衛生学や保護一点張りの医学のために、人間が愛玩用の犬のようになってしまう。20-21.

27 「我々がこれまで文化芸術といっていたものが、真の文化生活であったかどうかを反省してみるいい機会。それはヨーロッパから仕入れた贅沢生活、たくさんの物資の上に築かれた国民体力の無力化生活ではなかったか。また、人口の減少、出生率の低下を結果する民族去勢生活ではなかったか。」

>>当時の衛生学者たちは、文化・文明に対して疑惑の念を持っていた。それらは、真の文化ではなく、民族を弱め、人口の量と質をさげ、戦争に勝つことを妨げる文明であった。「ルーズベルトの言うように、戦争後にまた贅沢な生活を与えるのだと言って、国民をそれによって戦争に駆り出しているそうです。しかし、日本民族は、大東亜戦争がすんだからといって、昔のような自由享楽の生活を再び始めるのならば、この大東亜戦争は大失敗です。もしああいうような贅沢生活、ああいうような自堕落な思想体制が再び出たら、五十年、百年後の日本民族は哀れなる状態になること請け合いであります。簡素生活こそ民族興隆の生活である。また惟神の道にも叶う所以を体得するべきであります。」27-8

人口移動が激しい時代においては、多くの学校の学級編成が異質的になりやすく、上級は農村の子弟であるが下級は労務者の子弟というようなことがある。この場合に、学級別の体重や身長を把握しても何の役にもたたないことは申すまでもない。これをあらためよ。  62-3.