鴻上尚史『発声と身体のレッスン』(東京:白水社、2002)

恥をしのんで書く。いまから15年ほど前に大学で教え始めたけれども、しばらくは、私は教師として話すのが上手だと思っていた。なぜそういう自惚れを持つことになったのかはよくわからない。授業が成立するというだけで安心してしまったという要素が確かにある。

しかし、放送大学で分担で授業を持ったときに、その幻想は徹底的に破壊された。収録のときから屈辱的だった。「先生、視線がどうしても泳ぎますから、カメラの下に、この若いこのブロマイドを張っておきますから、その子の目をみて話してください」。(ちなみに、そのタレントが誰かはわからなかった)。

その映像は、すべてのうぬぼれを二度と立ち上がれないほど叩き潰すのに十分だった。英語の発音を直す時に、英語を読んで録音してそれを自分で聴いてみろという冷酷だが有効な指導法があるけれども、放送大学の映像は、その10倍冷酷だった。教師のみなさんは、自分の授業を映像にとって視聴してみるといいです。

それが、この本を買った理由だった。レッスンはやらなかったけれども、きちんと読んだ。頭がよくてカリスマ力がある演出家だから、書いていることも面白かった。「正しい発声を手に入れる」とは、「あなたの感情やイメージがちゃんと表現できる声を手に入れることです。」