高畠華宵



本郷の弥生美術館で開かれている高畠華宵展に行ってきた。

高畠華宵は、1888年に生まれ、1966年に没している画家である。大正から昭和期にかけて、少女雑誌を中心に、少年雑誌・婦人雑誌を中心に数多くの挿絵を描き、ロマンティックさと清々しさを併せ持つ画風で、「華宵好み」という言葉が流行歌に現れるなど、まさに一世を風靡した。その挿絵をあしらったレターセットはベストセラーになり、宮家の少女たちも買い求めたという。

彼が画家として出世するきっかけになったのが、津村順天堂の婦人薬である「中将湯」の広告画であった。中将湯は、津村順天堂の創業者の津村重舎が、1893年に東京日本橋で売り始めた薬であり、もともとは、奈良県にある津村の母の実家の藤村家に伝わっていた婦人薬であり、中将姫が藤村家に伝えたという伝説を持たされていたが、東京に進出した津村は、この伝統薬を積極的な宣伝で売り始めた。明治期の広告は、私が見たものでいうと、錦絵のような雰囲気を持っていたが、大正期になると、イメージ戦略上の大きな転換があった。その中で津村順天堂のスタッフと話し合いながら作られたのが、高畠華宵の広告であった。これは、一言でいうと、伝統薬をモダンな生活の中にはめこんだ風景を描いたものであった。トレードマークの中将姫も、すっきりとした線描のモダンなものに変わった。これは、漢方薬の戦略転換の例であり、たぶん、同時代以降の漢方の在り方と密接に連関し、現在の「漢方カフェ」と似た哲学なのだと思う。

華宵が生まれた愛媛県には、「高畠華宵大正ロマン館」があるという。私はまだ一度も四国に行ったことはないから、時間があったら、リサーチに行ってみようかな(笑)
http://www.kasho.org/chushoto.html

画像は、読売新聞の中将湯の広告。