C.P.スノウ『二つの文化』

Lisa Jardine, “C.P. Snow’s Two Cultures Revisited”, Christ College Magazine, no.235(2010), 49-57.
http://www.christs.cam.ac.uk/cms_misc/media/Christs_2010_web.pdf

2009年は、C.P. スノウの『二つの文化』の講演から50周年記念であったので、いろいろな催しがされたらしいが、私が知っているのは、スノウが講演をしたのと同じ「リード・レクチャー」で、ルネサンス文化研究者のリザ・ジャーディンが「C.P. スノウの二つの文化を振り返って」という講演をしたものである。この講演をPOしたものが出てきたので、それを読んだ。この講演は、ケンブリッジのクライスト・コレッジが出している広報雑誌のようなものに掲載されている。イギリスの学者にとって、このような場における「講演」(lecture)が持っている意味は、日本の学者にとってよりもはるかに大きいという印象を私は持っていて、このジャーディンの講演も、専門分野は大きく違う問題について、しっかりとした準備をして堂々たる内容の議論をしたものだった。科学史などの研究者は、スノウの「二つの文化」をちょっと読んで、その概念に軽く触れて、そこから科学史の必要性を論じるという形骸化した習慣を持っているから、ジャーディンの講演は読んでおいたほうがいい。

議論の核は簡単で、スノウが1959年に有名な講演を行った本当の文脈が理解されていないということである。特に、この講演について、スノウ自身が望んでいなかった方向の議論が、同じケンブリッジの有名な英文学者で非常に好戦的なF.R. リーヴィスによって始められてしまったので、スノウが意図した文脈が分かりにくくなっているという。その文脈とは、第二次世界大戦中から進行していた、イギリスの将来にとって基礎科学と応用科学が必要であるのか、新しい民衆社会において、それまでエリート用に作られていた教養の伝統はどのように伝えられるべきなのか、そして、何よりも重要なことは、核兵器の開発と利用などの決定をする政治家たちが、文学の文化でしか教育されていないことである。今の言葉でいうと、ポスト工業化の世界における国策のあり方、大衆社会におけるエリートの伝統文化のあり方、そして科学技術についての政策決定のあり方についての、根本的な提案だったのだという。リーヴィスが矮小化したようなアカデミック・ディシプリンの境界わけの問題ではなかったし、言うまでもなく、科学史やSTSを正当化したかったのでもない。しかし、結果として、具体的な問題こそ違え、現代の関心の急所を得た内容になっている。その意味で、やはり、古典的な著作なのである。