杉江董「社会現象としての精神病」

杉江董「社会現象としての精神病」『刑事法評論』3(1911), no.9, 987-1009.

大正期にはじまった、東大の呉秀三を中心とする精神医療のプログラムの一環で、この論文は読みごたえがある。
統計と国際比較を用いて、日本では精神医療が社会に浸透していないという議論がシャープに展開されている。つまり、日本の統計によると、精神病者は2万9千人で、1000人につき0.5人になるが、これは、ドイツの2.6, フランスの2.2、イングランドの3.3 といった数字に較べてあまりに少ない。これは、精神病患者を、精神病として発見し処置する仕組みが日本にできていないためである。精神病を、悪魔憑きとかではなく、病気として医者が発見する、それも専門の精神科医が発見するようになることが、ヨーロッパにおける文明の進歩であったから、精神病者発見のメカニズムを日本社会に広げ、この数字を上昇させて、外国に追いつくことが、文明の進歩になるのである。

もう一つ、精神病者の増加は、社会の進歩によってもたらされるという議論。オランダを例にとると、1850年から1900年までのあいだに、人口1万につき4.95 人から14.95人に増加した。他の国も同様である。一方、国ごとに較べてみると、インドが7万人に一人、ジャワが5万人に一人と、文明の程度によって精神病患者の数が違う。これは、さきほどは、社会が精神病を発見し認識し処理する能力の違いのためとして説明されたが、ここでは、実際に、進歩した社会は精神病を起こしやすいという議論が展開される。それは、生活状態が文明の進歩とともに「軟化」し、生存競争が激しくなると、意志は弱くなり、精神抵抗力が減少して、神経衰弱や強迫神経症が現れる。そして、生活が、社会に重きをおき、自己に重きをおかなくなるから、精神病になりやすくなり、性欲を中心とする欲望も変わる。