18世紀のパリの風俗を描いたレティフ・ド・ラ・ブルトンヌに、売春の国家による管理を唱えた『ポルノグラフ』というタイトルの書物がある。岩波のユートピア旅行記叢書で訳されている。
金持ちのイギリス人がパリに来て売春婦から性病にかかり、「太陽にいちばん近い惑星」(=水星=マーキュリー=水銀)のお世話になることになる。そこで、自分が受けたような害を少なくする方策として、売春の国家管理を提唱するという「フレイム」(額縁)で描かれている。
梅毒の管理法について、面白いくだりがあった。梅毒は、コロンブスがハイチから持ち込んで、特に大都市の売春婦に広めたものである。世間で提示されている梅毒の二つの打開策のうち、感染した者たちすべてを、かつてのハンセン病患者のように社会から隔離するやり方は、ハイチから病原体が到着した時期にのみ実行可能であった。もう一つのやり方は、すべての娼婦を、彼女らについて責任を持ちうる場所に収容することにあるが、これは実行可能であり、また効果的である。
売春の国家管理のほうは、19世紀のフランスでは実現し、各国に広まる。(イギリスでは失敗する。)それよりも面白いのは、レティフがおそらく見たこともないだろうハンセン病患者の隔離についての「公衆衛生の記憶」が残っているということである。