ワトーとボードレールの「シテール島」と梅毒


1717年にフランスの画家アントワーヌ・ワトーは、アカデミーの正会員に入会する申請作品として、『シテール島への船出』という作品を提出した。ロココの『雅宴画』を代表として知られている。この作品が描くのがシテール島「への」船出なのか、シテール島「からの」船出なのかについては長い論争があるが、いずれにせよ、シテール島は、ヴィーナスが海から上がったとされる島であり、それを暗示するかのように、画面の右にはバラの花と蔓に飾られたヴィーナスの半身像が描かれている。ヴィーナス像の横に描かれた三組の男女をはじめ、多くの恋人たちの組が、船に降り注ぐ黄金の光、キューピッドが舞う幻想のような風景で優雅に愛し合う、牧歌的な夢のような作品になっている。

 19世紀に入ると、ヴィーナスの島は、まったく異なった表象をされるようになる。ジェラール・ド・ネルヴァルの『東方紀行』や、ヴィクトール・ユゴーの『静観詩集』の「セリゴ」という作品は、シテール島を荒廃して不気味なものとして描いている。これらをうけて、詩人のシャルル・ボードレールは、1850年代に書かれ、『悪の華』に収録された「シテール島への旅」という詩で、同じ主題を扱った。その詩の前半は、まさしくワトーの絵画が描くような咲き誇る花の芳香や恋人たちのため息が漂うような黄金郷のイメージを喚起させるが、後半では、船から島を見た時に、そこにはネルヴァルが描くように、絞首台があり、絞罪人の死体があり、それが腐乱したうえに、鴉たちの不潔な嘴で食い荒らされている。

餌食の上にとまった凶暴な鳥たちは、
すでに熟した一人の絞罪人を、荒々しく打ちくだいていた、
おのおの、不潔な嘴を、道具のように、
この腐肉の血したたる隅々すべてに突き立てながら。

両の眼は二つの孔となり、破れた腹からは、
ずっしりした臓物が太腿の上へと流れ出し、
おぞましいご馳走に満腹した刑吏どもは、
嘴でつつき立て、この男を完全に去勢しおおせていた。

18世紀の初頭にワトーが夢幻的で優雅な傑作の主題としたヴィーナスの愛の島、シテール島は、19世紀の半ばには、死と腐肉と髑髏と去勢がおぞましい姿をさらす島になった。この、劇的な転換の大きな理由は、「ヴィーナスの病」、つまり梅毒に対する関心の向上である。