東大内科患者の同胞の精神病調査

玻名城政順「本邦人の精神疾患遺伝負荷に関する調査―342名の東京市並びに那覇市内科病院入院患者の同胞及び両親」『精神神経学雑誌』47(1943), 282-307.

この論文にも記されているが、玻名城政順は、「立津」と改姓した。のちに、熊本大学の神経学者として水俣病を研究した「立津政順」は、この人物である。

平均成員間における精神疾患の出現率を知る他の調査法はある地域の全住民の一斉調査であるが、この方法はその性質上社会学的要因の介入を防止できないものであって、一斉調査の結果をもって遺伝予後を評価する比較資料とすることは不可能である。 282

東京帝国大学坂口内科の入院患者220名の同胞1000人を調べた。これは、非常に高い階層から来ている患者たちであり、その同胞も高い階層である。精神薄弱は18名、要保護精神病質はいなかったが、何らかの点において性格異常を示す特徴者は、49名発見された。これは全体の6%程度である。その半数は循環気質のもので、社会の上層に属するものを多数包含していたことと結び付けて考えるべき所見である。一方、那覇の調査は、全く違う、社会の下層の患者層・同胞を示している。ここには、痴愚が多く、全体に精神病は少ない。「那覇市材料においては、一般精神疾患と特徴者の出現が著しく低く、精神薄弱の頻度がこれに反し極めて高率を示している。」297