戦前東京の精神病調査

岡田敬蔵、ハ名城政順・浅井利勇・詫摩武元・森村茂樹・坪井文雄「大都市に於ける精神疾患頻度に関する調査」『精神神経学雑誌』46(1942), 204-218.

八丈島、三宅島で精神病の一斉調査を行った。これらは、四囲より隔離されているので観察しやすく、狭隘な地域で交配を続けるという条件を備えており、その条件が精神病の遺伝的負荷に与える影響を調べるためには理想的な環境である。しかし、その一方で、これらの地域は、健康で能力がある若者が活動の地を求めて島外に出ているため、活動にツ適当な精神病者が島内に取り残されているという事情すらないではない。

それに対して、都会は農村とは正反対である。農村より多数の青壮年層の人々を吸収することによって、その殷賑と混沌とを加えている。であるから、農村の精神病調査だけでなく、都会の精神病調査も必要である。

 選ばれたのは池袋町の一町会で「M町」、池袋から西方数町のところにある。商店街ではなく、大部分が山の手の住宅地に属し、その半ばは中流の屋敷町である。特殊女学校の寄宿舎と、神学校寄宿舎がある。後者は相当面積を占め、敷地内に教師住宅が数個ある。総世帯数は537戸。(この記述に合う町会で、「M」という頭文字を持っているのは、「丸山」であろうか。)

調査方法:我々はかかる大都市における調査には、甚だしい困難が伴うのではないかと予想したが、結果は、一両年来確立された隣組組織の円滑な運用によって、以上の懸念が杞憂であったのみでなく、かえって著しく調査が軽易であったように思われた。町会長より部長へ、部長より群長へ、さらに隣組長より各家庭への連絡は、間然するところなく行われ、健康調査の名目の下に、大多数の家庭はこころよく己が家庭の事情を打ち明け、またその成員を立ち会わせ、さらに進んでこの機会に健康相談をなし得たことを喜んだものが少なくなかった。しかし中には調査に対して不快な態度を示し、調査者を困惑させたものも皆無ではない。しかもそれらが中流以上の家庭に多かったのは極めて遺憾である。 207

全ての精神病者・異常者・薄弱者は全体の3%で、これは八丈島や三宅島に較べて低い。しかし、精神病質、異常性格者、薄弱などの数が少なくなっているので、濃厚な人間関係が存在する地域よりも発見されず、実際よりは相当低めに見積もられていると考えられる。 210

分裂病は、八丈島や三宅島よりも低いが、諸外国の数字よりも相当に高く、東京市の中流住宅地に予測された数字としては甚だ高い。大都市において当然予期されることであるが、亢奮や不潔などのために特別の保護監置を要するような著明な例が皆無であり、症状が比較的軽微で、不完全ながら社会生活の可能のもの、または慢性の欠陥状態にあるものなどが多数であった。具体的には、幻聴などの明らかな分裂病症状を呈しつつ、現在通学中の学生や、家庭人として不十分ながら家事に従事しうる中年以後の婦人、他人の保護なくして極めて低調な遊楽をこととする有名人の子息。 211 

大都市においては、地方住民中の健康者が集積しており、その意味から素質の良好な方への選択が行われていることが期待された。しかし、調査の結果は、さほど低い数字ではなかった。 216

「一見静穏に見える大都市住宅地内に、相当多数の精神疾患者が、明らかな病的症状を呈しながらもわずかに残った社会的適応力により、世人からは明白に精神病者とは思惟されずに生活しているという事実である。これらは、いわば、社会に潜伏している病者とも言うべきもので、知らずにあいだに各方面へ影響を与えているものである。」217