『宝島』の地図


R.L. スティーヴンソンは、彼の出世作であるTreasure Island (『宝島』)の成立について、印象的なエピソードを語っている。呼吸器の病気で苦しんでいたスティーヴンソンは、エディンバラを避けて、家族で転地療養のために ブリーマール(Braemar)に来ていた。新しい妻と、13歳の息子も一緒であり、一家は本を読んだり絵を描いたりして夏を過ごしていた。

8月のある日のこと、息子のイーゼルに画布をかけ、スティーヴンソンは絵具で島の地図を描いてみた。その地図は、形も色もすばらしく、それを見ていると、島の森から登場人物たちが自然に表れてくるかのようであった。スティーヴンソンは、すぐに登場人物のリストを作った。着想は流れるようにあふれ出てきて、毎朝一章の割合で書くことができたという。

島の地図を描いたら、そこに登場人物が躍動し始め、彼らが活躍する物語があふれるように流れ出したというのは、大航海時代から帝国主義にかけてのヨーロッパの想像力の形を鮮やかに示している。探検家が未知の土地に行き、帰国してそこのおおまかな地図を描いたときに、「この場所に人生の大冒険が待っている!」という想像力が人々の基本的な姿勢をつくるという構造が見えてくるような話ではないだろうか。似たようなエピソードが、シーボルトが日本を目指したときにもあったような記憶がある。

もっとも、スティーヴンソン自身が認めているように、ストーリーをつくるうえでの仕掛けは、他の物語から自由に拝借したものであった。たとえば、骸骨の姿勢で宝の方角が分かるというのはポーの『黄金虫』からの拝借だし、シルバー船長のオウムは『ロビンソン・クルーソー』からの拝借である。