予防接種と免疫学の「モーバイル」

Martin, Emily, “Anthropology and the Cultural Study of Science”, Science, Technology, & Human Values, 23(1998), 24-44.
エミリー・マーティンがSTSの学会に招待され、人類学者としてはじめて当学会のプレナリーで講演したものを原稿化した論文。マーティンは、人々に自分の免疫について図版を書いてくれと頼み、その図版を分析して議論をした面白い著作である『免疫複合』が翻訳されている優れた人類学者で、この論文もとてもよく分かる優れたものだった。

ラトゥールやフレック、クーンなどの科学論の大物との対話の中で、科学がどのように社会の中に浸透していくのかを、免疫学を素材にして議論している。重要なポイントは、実験室で作られた科学的な知識が社会に広がっていくときに、それは単に難しい知識を分かりやすくして実用に供するというだけでなく、「モーバイル」という新たな性格を帯びて、社会と人々の生活に新たな組織と意味を与える。このプロセスを研究するのに、科学の研究の拠点を「城壁」、モーバイルとなったものを「リゾーム」、組織化を「ストリング」と呼んで、それぞれが科学と社会との関係でどのような役割を果たすのかを議論している。わりと面白い。

予防接種は、もともと実験室で研究され、社会に取り出されて「モーバイル」となって接種が行われる。免疫学においては、免疫システムが「学習する」という比喩を用いており、これが社会に出てモーバイルになると、一般の人々が持つ「学習能力」という概念に組み込まれて、異なった意味を持つ。そこでは、よりフィットで適応力があり身体のケアをしている優れた人間は免疫力もあるというようなイメージが作られる。そのため、アメリカでは教育水準が高い人々の間で、予防接種率が高くない。フィットになるために身体のケアをするということでは、さまざまな代替療法を受けるということも含まれており、1990年には、代替療法を受けた人は4億2500万人で、一次医療に来診した3億8800万人よりも多く、前者は私費で103億ドル支払っており、後者の私費の128億ドルとあまり変わらない。

国民が医学知識を持っているはずの先進国で、何かのきっかけでかえって予防接種率が下がるというのは、国家にとって頭が痛い問題であると同時に、それはなぜかと問うのはとても面白い問題である。予防接種のメリットをきちんと伝え、リスクを的確に伝えれば、問題が解決するかのように思っている人もいるのかもしれないが、予防接種を受ける受けないというのは、深いブナ的な側面も持っていることが示唆されている。このあたりに、医学史・STSと、厚労省の保健医療科学院などが、エキサイティングな共同研究をする余地があるような気がするのですが、どなたか、研究しませんか?人を紹介することならできますよ(笑)

“metaphors both enlighten and blind at the same time”便利な表現だからメモしておく。