アンデルセン『影』

ハンス・クリスティアン・アンデルセン『影』長島要一訳(東京:評論社、2004)
二重人格について基本的なことを知っておく必要があり、『ジキル博士とハイド氏』をはじめとする古典を読もうと思っている。アンデルセンの『影』は、言及されているのはよく目にするが、実際に読むのは初めてである。

長さといい、みかけ上の話の単純さといい、子供向けの童話の形式をとっているが、訳者が「解説」で的確に指摘しているように、この作品は大人向けの寓話であると考えるのが一番いい。特に、主人公は若い学者であり、彼とその影との間の物語だから、学者としては一番わかりやすい形で心に入ってくる。北国の学者が南の国に行く。その国で、彼の影が彼から離れ、影だけで一人立ちして、人間世界に入っていく。影は人間の扮装をして、人間の美しさと醜さの双方を見て、人間社会で成功していく。その間、学者は北国に帰り、真善美について調べたり考えたり本を書いたりするが、だれも聞こうとしない。「学者が語っていた真善美は、たいていの人たちにとって、[そして学者自身にとっても]、まるで牛にバラの花をやるようなものでした。」そこに、影が帰ってきて、逆に学者を自分の影にして奴隷扱いし、最後には学者を殺して、自分が本物であるといって王女様と結婚するという話である。おそらく、この寓話から引き出される教訓の一つは、「学者の自己憐憫のふりほど醜いものはない」だろう。

影に本物が乗っ取られるという構造を一番痛切に感じているのは、Dropbox などの、クラウドを用いたファイル管理だと思う。便利だから大いに愛用して、人にも進めているけれども、自分のPCが、自分のPCではなくなってしまい、ウェブ上の本物の影になったということを実感する。

というわけで、この話は、大人の寓話として、学会のあとの懇親会の立食パーティなどで、ちょっと実がある談話に最適の話だと思う。次の学会の懇親会にもし出たら、この話をしますので、よろしく(笑)