精神科診断の哲学

山崎真也「精神科診断において操作的診断基準は信頼性問題を解決したか」『医学哲学医学倫理』27(2009), 79-88.
DSM-III以降のアメリカの精神医学が舵を切った新しい企画がいわゆる「操作主義的診断」であった。それまでの精神科医の間で同じ患者を見たとしても診断が一致しないこと(「三人の精神科医がいたら四つの診断がある」)を体系的に解決しようとした試みであった。この試みを哲学的な視点から分析したのがこの論文である。

これは診断の「信頼性」(reliability)の問題である。この背後には、精神科診断の客観性の問題があり、それは複数の専門家が同じ診断に到達できるかという問題と、そもそも疾患について同じ診断に到達するべきであるのかという問題の二つが存在するという。前者は、診断が医者たちに共有されるのかという問題であり、後者は、診断について客観性をそもそも期待するべきなのかという問題である。後者は本質的な問いであって、精神科における診断というのは実は不安定であるだけでなく不用でもあり、臨床と治療においては個別の状態像への対応がすべてであるという極論すらされている。たしかに状態像対応が治療を主導しなければならないときもある。しかし、それは診断の否定にはつながらず、「診断ニヒリズム」「診断相対主義」によるアノミーを誘発する。抑鬱の状態があるからといって抗うつ剤を処方すればいいというわけではないのである。単なる状態像対応ではない診断というものが、治療場面で本質的な役割を演じるのである。

この信頼性の欠如の問題を解決するために登場したのが操作主義であった。これは、もともとは「概念とは対応する諸々の操作の集合である」という物理学者のブリッジマンの考えに由来する。この考えは論理実証主義者のヘンペルを通してシュテンゲルらがアメリカの精神医学の世界に移入させた。問題は、操作主義的診断が、現実に信頼性を向上させているかという問題である。たしかに、一つの操作主義的な診断の体系を共有すれば、診断の一致度は向上する。しかし、問題は、その一致した診断が妥当であるかどうか、他の体系による診断に較べて妥当なのかどうか、判断する方法を持っていないということである。