内村祐之編『癲癇の研究』

内村祐之編『癲癇の研究』(東京:医学書院、1952)
昭和27年の5月に九州大学で行われた精神神経学会は、「てんかん」がシンポジウムの主題として選ばれた。このシンポジウムは非常な盛況であり、内村は「我が国における現時の癲癇研究を一堂に集中した」と自賛している。このシンポジウムの講演をもとにして、記録された討論なども付して編集されたものが本書である。(シンポ講演を行ったが本書に採録されなかったものが2点あり、逆に、シンポ講演ではなかったのに同書に収録されたものも2点あった。

脳の病理学、脳波を用いた研究、痙攣が起きるメカニズムの研究、痙攣を起こす化学物質の研究、薬物による治療、外科的な治療など、研究が高度に進展した状態の論文集であるから、本当に理解するには落ち着いてテクニカルな議論を追わなければならないが、今回はざっと眺めただけだから、素人くさいことしか書けないが、とても面白い主題であった。癲癇の外科手術をめぐってかなり根本的な論争があり、表面的には、東大と慶應が例によって例の如く対立しているように見える。問題の焦点は、慶應の生理学の林髞が動物実験を通じて行った発見を人間の癲癇に応用した外科的な治療の是非である。林は、動物実験を用いて痙攣を起こす経路を発見したと主張し、脳のある部分を切除することで癲癇を治療できる可能性を示した。阪大の水野はこれに触発された研究を行い、林はその結果を観察し、癲癇の発作が起こらなくなったと同時に、意識喪失発作もまた全く起こらなくなったという事実に着目する。林自身の言葉によれば、これは「今世紀医学上の最も重大な発見の一つとしてよい」とのこと。阪大の第一外科の小澤凱夫、第二外科の竹林弘、木全弘水なども、外科手術による癲癇治療を報告した。それらに対して、東大出身で当時は金沢の教授であった秋元波留夫は、外科的な侵襲に対して非常に批判的なコメントをして、内村祐之もそれに同調するコメントをしている。秋元らが、林が自分の発見を過大に評価したことにカチンときたこともあるのだろうが、そこには、てんかんをめぐる臨床と生理学・病理学の対立という、より根本的な対立もある。

この論文集の最後に、ロボトミーを行った上に、林の実験を参考にして、さらに痙攣物質を投入して、当時知られていた二つの強力な治療手段を組み合わせて一挙に精神病を治そうという論文が掲載されていた。それに対して、ロボトミーの権威であった松澤病院の廣瀬貞雄が、ロボトミーを行ったあと、ビタミンB1を注入してみたところ、5例のうち1例が痙攣重積状態で死亡した経験があるといい、脳内にこのような物質を注入することは危険だから避けるべきだと書いている。

ちなみに、第二次世界大戦で頭部に外傷を負い、脳髄に損傷があるものの癲癇性発作を調べたという記述があり、戦争の後遺症で増加した癲癇に対応するという意味もあったのだろうか。いや、そもそも、戦争のあとは癲癇が増えるって本当なのかな。