イムと社会・文化

中川秀三「アイヌの話」『北海道精神衛生』no.10(1966), 1-5.
高畑直彦「イムの文化的背景」『精神医学』25(1983), no.1, 37-43.

中川は、論文執筆時点では札幌医科大学の教授で、学生時代には北海道帝国大学の精神科で、昭和10年近辺の内村のアイヌの精神病調査に参加した人物である。内村の調査から30年後に再びアイヌのイムを調べてみたところ、北海道全体で30名しかいなかったとのこと。アイムのイムが減少し絶滅に向かっているということが内村の調査の動機の一つであったが、その予言は確実に実現されているといってよい。イムがあるのは、アイヌ人同士のコタンを作っているところに多い。若い婦人もいるところをみると、そのような共同体ではイムの新発生もある。

これは論文というよりエッセイだから、気をつけなければならないけれども、中川は、イムの発生について、遺伝よりも共同体や人間関係を重んじる記述をしている。たとえば、あるイム女性について、「山で蛇をみて驚いた後に、部落のものに何度も驚かされることを通じて、イムに育てられた」というような記述があるが、この「部落によってイムに育てられる」という発想には、イムを病理的な存在とは違うものと捉える前提がある。同様に、「スンケイム」についても、イムの真似をしていると本当のイムになってしまうこと、これは男性であっても日本人であってもそうであることを論じているが、ここにも人間関係の中での一つの性格類型として捉える思想がある。あるいは、アトラクションとして、祭りや宴会のときに「イムヤラ」を伴って提供される、見世物や娯楽の対象としてのイムも、イムヤラによって導かれながら危険がないようにイムを起こさせられるということにも、社会的なものと捉えている。

高畑論文は、アイヌのシャーマンとイムを結びつけた論文。シャーマンはトスと言われ、それは蛇のカムイとともにあり、蛇は霊能力の誘発因であったこと、アイヌ女性が蛇と一体化して巫術を行うものであったことに着目し、イムとトスは女系的であり、いずれも敬愛される女性がなり、蛇を刺激とすることから、「トスイム」の存在を考え、それから祭りイム―あそびイムへと変遷していくことを論じている。この著者にありがちなことなのかもしれないが、時系列における変化を論じているはずなのに、何がどういつ変化したかということについて、実証はもちろん理論的再構成も欠いていて、理論的というより思弁的な論文である。